| Home | 3mikan | 3us-D | 2011 | Tabi | Food | Railbook | Zero mile | Cardboard | Mo41057 | 525600 | Pins | Jamaica |



書き忘れ 3行アメリカ

書きそびれていた、あんなこと、こんなこと。



| 2011ふたたび | Daily Life | 2004 | 2003c | 2003b | 2003a | 2002 | 2001 |
| People | English | Kitchen | Culture | WASURE | Sports | 停電 | 胃潰瘍 | 病院 | お薬 |


オプラ座の怪人 2.16.2005

英語クラスの宿題に、「旅先でのトラブル」というテーマで書くエッセイがあった。韓国の焼肉屋で無銭飲食しかけた話と、ロンドンでミュージカル『オペラ座の怪人』のチケットをダフ屋で買ったためお金が無くなり、日本から持っていったカロリーメイトを食べてしのいだ話を書いて提出した。
さて、そのエッセイを添削をしていた担任のケアレンが大笑いしながら私を呼ぶ。その頃、だいぶ英文を書くことにも慣れ、ワードの添削機能を使えば辞書を引かずとも書くことが出来るようになって調子にのっていた私は、大きな「綴り間違い」をしていたのだ。

『オペラ座の怪人』を英語で書くと"The Phantom of the Opera"と書くべきを、"The Phantom of the Oprah" つまり『オプラ座の怪人』と書いていたのだ。何が可笑しいって? アメリカには、オプラ・ウインフリーというお茶の間の人気者がいる。アラバマの田舎で悲惨な少女時
代を過ごし、しかしそれにめげることなく努力を重ね、女優や実業家者として大成功している黒人女性だ。民法テレビで毎日放映のトークショーを持ち、その人柄にファンも多い。その一方、ダイエットとリバウンドを繰り返したり、ゴシップネタも少なくは無い。あえて日本で言えば、黒柳徹子みたいなものか。そのオプラがファントムになっているのだから、皮肉好きなケアレンは大受けだったらしい。ちなみに、オプラの顔はこちら。(ま)


★見ようによっては… 2.15.2005

さて、下品なお話です。アメリカで初めてこの手のイラストを見た時、「うーん、アメリカにもこんなものがあるのだな〜」と笑ってしまった。漫画「マコトちゃん」世代には懐かしい「巻き○ソ」。飛び回るハエまで世界共通。

しかし、がーデニング用品のみならず、自然志向の化粧品ブランドや高級雑貨のお店で売ってある食器にまで、このイラストが印刷されているのを見るに至り、「何かが違う」と気付く。そしてある日、ついに知ってしまった。……これは、アメリカにおける「ミツバチの巣」だったのだ。よく見ると、飛び回っているのはハエではなくミツバチ。しかし、こんな巣は見たことないぞ!と未だ納得できないまま、このイラストを目にする度に動揺する(ま)であった。というか、(ひ)と2人の時は、指差して笑っています。(ま)
<特にユタ州に行くとすごいよ〜、さすが Beehive State。(ひ)>
<ハイウェイのいたるところに、例のイラストの看板が立っています。(ま)>


★タチカワ・ジェントルマン 12.18.2004

アーチーズ国立公園を旅していた。自然の造形である様々なアーチを散策する中で、3m程の高さの崖にあるアーチを見学した後、(ま)が後ろ向きになって恐る恐る崖を降りていた時のこと。少し離れたところで、面白そうに写真を撮っていた(ひ)の前を、疾風のように何かが駆け抜けた。と、(ま)の着地地点に、60歳代とおぼしき白人のおじさんがしっかりと腰をかまえて、「大丈夫だ!落ちても俺が受け止めてやるぞ!!」と叫んでいる。(ま)が無事に降りきると、おじさんはにこやかに「アンタ、ダイジョウブネ。」と、いきなりの日本語。驚く(ひ)(ま)に、自分は日本のナントカ基地に勤務していたことがある、と説明してくれた。しかし、関東方面の地理には今ひとつ詳しくない我々。すると「タチカワよ、タチカワ。」と補足説明。タチカワと言えば、飛行場ではないか。するとこの騎士道精神に溢れたおじさんは、元エリート空軍パイロットという可能性もある訳だ。我々は、彼を「タチカワ・ジェントルマン」と名付けた。いきなり外国人と外国語でコミュニケーションをしているご主人を、驚愕の表情で見ている奥さんにちょっぴり自慢気な顔を向けて、ジェントルマンはサワヤカに去っていった。(ま)


★タチカワ・レディ 12.19.2004

ハイウェイのレストエリアでトイレに入っていたときのこと。ドアが開いて、個室のドアから真っ白いドレスを着た、黒人の小さな女の子が出てきた。日本人にはちょっと想像しづらいかもしれないが、均整の取れた黒人が真っ白な服を着た姿は、ハッとするほど美しいものだ。ところで、アメリカの子供は、必ず石鹸をつけてきっちり手を洗う。問題は、洗面台の奥にある石鹸液のボトルに手が届かないことだ。こんな場面に出会うと(ま)は、「手伝ってあげるね。」と一声かけて手を貸すことにしている。石鹸液が取れるように抱え上げ、タイミングを計って蛇口をひねってあげていると、別のドアから少女のお母さんらしき女性が出てきた。これがまた、驚くほど品のある美しい黒人女性なのだ。「あら、手伝ってもらったの。良かったわね。」と子供にお礼を言わせ(躾もきっちりしている)、普段はここでサヨナラなのだが、彼女は思い切ったように(ま)に「日本人?」と話し掛けてきた。

聞くと、彼女はご主人の仕事の都合で、日本のタチカワに5年間住んでいたそうだ。「でも、私の日本語はヒドイの。覚えている言葉は、えーっと、えーっと……」彼女はしばらく考え込み、素敵な笑顔で言い切った。「アンニョンハセヨ!」「……それ、コリアンだよ。ハローの日本語はコンニチハ。」と(ま)が訂正して、我々は大笑い。少女はキョトンとして2人を見上げていた。(ま)は勝手に、彼女を「タチカワ・レディ」と名付けた。美人の黒人女性と一緒にトイレから出てきた(ま)を見て、(ひ)もビックリ。一足先に出発するタチカワ・レディ一家の車に手を振りながら見ると、ダンナさんも恐ろしくカッコよかった。2人で、「あれは、本物の現役エリート空軍パイロットかもしれませんな。」と見送った。(ま)


★ホリディ色々 12.14.2004

アメリカの正式なホリディ(祝日)は、日本より少ない。でも、それぞれの祝日の盛り上り方は日本以上だ。あと、実際に休みじゃなくてもお祭りなどもある。さて、各メジャーなホリディにはそれぞれ「テーマカラー」がある。店や家のデコレーション、売られている小物からプレゼントの包装にいたるまでその色が使われ、これまたお決まりのシンボルが登場する。例えば…<カッコ内はシンボル>

・4月のイースターは、ピンク・黄色などパステルカラー  <ウサギと卵>
・7月の独立記念日は、青・赤・白(星条旗の色)  <星条旗>
・10月のハロウィーンは、黒と橙(カボチャ)色  <ジャック・オ・ランタン(カボチャのおばけ)>
・11月のサンクスギビングは茶色〜オレンジの豊穣系グラデーション  <ターキー>
・12月のクリスマスは、言わずと知れた赤と緑  <ツリーと靴下>
・1月のニューイヤーは、金と銀  <クラッカー>

街がこれらの色で彩られる風景は、見ていてなかなか楽しいのだけれど、ひとつだけ勘弁して欲しいことがある。その色のクリームを使ったケーキが堂々と売られることだ。特に、7月の赤と青のケーキ、10月の黒とオレンジのケーキには、甘党の(ま)もさすがに触手が伸びない。(ま)


★実録「ジャック・オ・ランタンのできるまで」 10.20.2004

間もなく10月31日はハロウィーン、日本でもずいぶん浸透してきましたね。カボチャの「ジャック・オ・ランタン」にロウソクを入れて玄関に飾っておくと、このランタンを目印に仮装した子ども達が「Trick or Treat !」とお菓子をねだりに訪ねてきます。日本の盛り上がりとは裏腹に、近年は安全上の理由から Trick or treaters は減少傾向にあるようです。
とはいえ季節感を楽しむために我が家でもカボチャの「ジャック・オ・ランタン」を作っておりました。彫り師は(ひ)。便利だけど「カボチャ彫りカービングキット」の5ドルはぐっとこらえて節約。ちょっと微妙ですが本職と近いアクションなので、その代わりにカッターナイフ1本とピンセットで(ひ)が見事に彫り上げるのでした。ここではある年のランタン制作過程を、「実録ジャック・オ・ランタンのできるまで」と題してお届けいたします。(ひ)
<こちら>からどうぞ。


★あの冬の流行を振り返る 10.10.2004

11月のある日、お気に入りのヒルトンヘッド・アイランドへ旅行に行った。ここでは、ビーチを自転車で疾走するのが何よりの楽しみだ。しかし、その日はとにかく寒かった。ビーチに着くまでの途中で、(ひ)が手袋を買おうと言い出した。小店に入る。こんなところでセンスの悪い手袋を高い値段で買うのはバカらしいと思いつつも、背に腹は代えられない。レジの店員に「手袋ある?」と聞くと、なかなか良い色(ブラウン)のコットン手袋が出てきた。値段を聞くと2ドルちょっと(約250円)。これならいいね、と2つ買い求め、サイクリングを存分に楽しんだ。さて、その後も時々、この手袋は使っていた。色といい、肌触りといい、なかなかである。そして春になったある日、スーパーマーケットの掃除用品売り場を眺めていたら、例の手袋が売ってあった。これってもしかして、アメリカの軍手……絶句するふたり。冬の間中、嬉々として軍手をはめて過ごしていた私達。だって、アメリカの軍手がブラウンなんて、知らなかったのよぉ。(ま)


★NC流運転術 10.9.2004

ノースカロライナで運転をしていて、クラクションを聞くことはほとんどない。4ストップの交差点や合流のお礼などの場合、信じられないかもしれないが、全てアイコンタクトで行うことが、教本にも記されている。確かに、こっちを見ずに頭を下げる日本と違い、相手の目を見て「行かせてくれ」「お先にどうぞ」などの意志を伝えている。慣れるまで少々時間がかかるが、慣れると夏なんか相手がサングラスしているのになぜか出来てしまうから不思議だ。

注意喚起の場合のクラクションも、よっぽどのことがない限り鳴らさない。ニューヨークなどでは、信号が青になってから出発が2秒遅れると、後続の車から嵐のようなクラクションが鳴らされると聞くが、ノースカロライナではそんなことはない。1回までなら次の青になるまで黙って待つ、というジョークがあるくらいだ。ある日、信号が青に変わったにも関わらず、(ま)の前の車が発進する気配がない。どうしたものか。ジョークに従い、クラクションは鳴らさないべきか?と考えつつ、後続の車も気になる。しかし、後ろからクラクションが聞こえる気配もない。待つことしばし。こっそり後ろの車をバックミラー越しに覗くと、後ろの車の運転手もスナックを食べるのに夢中で、前など見てはいなかった。さすが、心にゆとりのあるノースカロリニアンである。(ま)


★帰国子女にまつわる誤解 10.8.2004

日本にいた頃、海外生活の経験がある「帰国子女」のイメージといえば、「英語がペラペラ」「大学受験が優遇される」「自己主張が強い」程度の、世間一般のステレオタイプと同様のものだった。「キコッキー」なんて言葉もあったな。

しかし、実際にアメリカで日本人の子供達と接し、勉強を手伝ったりして、その考えは随分変わった。まず「英語がペラペラ」。英語環境にいられるのはあくまでも英語が母国語の国(米国・英国・オーストラリア他)に住んで、かつ、現地の学校(日本人学校ではない)に行っている場合だけ。その場合でも、例えば10代の場合、日本の英語教育のように系統だった文法を学ぶことなく、いきなりペラペラの現場に放り出されれば、発音よく意思疎通が出来るようになっても、文法がおかしかったりする。一方、幼いと英語の上達も早いが、帰国後は忘れるのも早いというのはよく聞く話。つまり、数年の滞在で、家庭では日本語を話す生活で、日本で「バイリンガル」と呼ばれるほどに「英語がペラペラ」になるとは思えないのだ。 一方、この時期に日本で叩き込まれるはずの「漢字」や「日本語(国語)」は、現地の学校の勉強とは全く別に、自分で努力をして学ばなければならない。数学は世界共通と思いきや解法が違ったり、理科だって同じことを習って語句を暗記しても、それが日本語で何と言うかなんて知るすべもないのだ。同じだけ勉強しても、日本語の問題を解くのは一苦労。確かに「大学受験が優遇」され受験科目が少なかったりするが、生徒の身になれば「この辺で勘弁してよ!」という気にもなる。授業は受動態でなくプロジェクトが多く、主張無しには評価されないしくみ。そんな中で、日本人らしい協調性や押しの弱さで評価されずに悩みつつ、やっと身に付けたスタイルを日本に帰れば「自己主張が強い」と言われる。一体、どうしろと言うのだ!

海外生活の経験は、利益もあれば不利益もある。それは子供にとっても同じだ。願わくば、帰国子女と呼ばれる子供達が、帰国当初はは多少の摩擦もあれど、「やっぱり日本に帰ってよかった」と思える母国であってほしい。(ま)


★マメ子 10.7.2004

アメリカのアパートメントの作りは結構いいかげんだと思うのだが、意外に防音性に優れていると思っていた。あいつが引っ越してくるまでは…。

ある日、大家族でも引っ越してきたのかと思うほどの大型トラックが、我が家があるアパートメントの棟に横付けにされた。しかし、その荷物の全ては、1ベッドルームの我が家の真上に運び込まれている。つまり2階も1ベッドルーム(2人までしか入居できない)のハズなのだ。この大量の荷物は何なのだ?! さて、翌日より我が家は、階上の大人数の足音に悩まさ始めた。2年以上住んで、こんなことは初めてだ。こりゃ堪らん、とオフィスに文句を言いに行くと「その部屋は、大学院生の女性一人のはずよ。」とのこと。言われてみると、確かに1人なのだが、 足音が大きい上に、歩く量がハンパじゃないのだ。 狭い家の中で何をしている?!ある日、たまたま窓から部屋の様子が見えた。窓にはデコラティブなカーテンがかかり、窓際には1人がけのソファーが置かれ、サイドテーブルの上に巨大なランプ、壁には巨大な絵画が、暖炉の上には巨大な壺が飾られている。どんな趣味の女子大生なんだ?!、とちょっと驚く。おまけに、夜に毎日のように掃除機をかける。(この話をすると、「そんなマメな奴は、きっとアメリカ人じゃないんじゃないよ。」と友人は言った。)という訳で、我が家では彼女のことを「マメ子」と呼ぶようになった。

でも、一番困ったのは、マメ子のベッドルームから聞こえてくるベッドの軋む音。 ヘンな想像をしないで欲しい。一人で寝ているのだろうが、寝るとき、寝返りを打つ時、起きる時、全てにギギギーッと音がするのだ。これで、(ま)は睡眠不足に。これもオフィス経由で相談したところ、マメ子の返事は「私のベッドはアンティークだから、音がするのは仕方がない。」とのこと。マメ子め〜!(しかし、それを伝えて「私が出来ることはここまで。」と言い切るオフィスマネージャーもアメリカらしい。まさに「ガキの使い」だ。)きっと、ひとつひとつのアクションが派手なのだろう。ドアの開閉からシャワータイム、トイレのフタの開け閉めまで、マメ子の行動が手にとるように分かってしまうそんな生活。(ひ)(ま)も慣れてきて、うるさいときは天井に向かってテニスボールを投げて応戦し、夜は耳栓をして寝るようになった。

そんなマメ子も、たまには役に立つと気付いたのは、大学の1週間の休みでマメ子が不在になった時。規則正しいマメ子の生活が目覚まし代わりとなっていた(ひ)(ま)家は、1週間続けて寝坊してしまった。(ま)
※ご参考までに。マメ子の生息するアパートは、HWY54近くの"Summit Hill" です。お寝坊さんにはお薦めかも。


★ヒュー様価格 10.7.2004

5月に再びNYへ行った。目的は、もちろんミュージカル鑑賞。前年7月にアントニオ・バンデラスに会いたいがために発作的に出かけたNYで、本場のミュージカルの虜になった(ひ)(ま)家。今回も入念に下調べを行い、チョイスしたミュージカルのひとつに"The Boy From OZ"があった。このミュージカルの主演は、オーストラリア出身のヒュー・ジャックマン。一応、ハリウッドの売れっ子俳優だ。しかし、彼の名前すら知らなかった(ひ)(ま)は、「ナンボのもんじゃい。」と出かけていった。そして、彼の歌と踊りの素晴らしさとエンターテイナーぶりに完全ノックアウト。ああ、ヒュー様!!!

さて、普通なら出演者が総出演してお辞儀をし、ミュージカルは終わる。しかし、この週は「エイズ撲滅のためのチャリティーウイーク」だったので、いきなりオークションが始まったのだ。まずはロゴが入った、いたって普通のタオル。数十ドルの値段で始まったオークション。

と、司会者がいきなり、ヒュー様に襲い掛かり、そのタオルでヒュー様の汗を拭いた。
途端に値段は跳ね上がり、何と1,300ドル(13万円弱)になった。


結局、同じものが2枚用意され、「ヒュー様の汗付きタオル」は800ドル(8万円弱)で、2人の女性の手に。
次の商品は、何とヒュー様が今まで着て、歌い踊っていた真っ赤なシャツ。ヒュー様がその場で脱ぐと、会場の女性陣から黄色い歓声が沸きあがる。これはさすがに100ドル(1万円)からスタートする。

と、司会者がいきなり、ヒュー様に襲い掛かり、ヒュー様の胸毛を1本抜いてシャツに付けた。
途端に値段は跳ね上がり、結局「ヒュー様の胸毛付き真っ赤なシャツ」は3,000ドル(30万円弱)で競り落とされた。


お買い上げの人々には、税金控除に使える領収証が発行されるのもアメリカらしい。そのほかにも、10名に限り『ヒュー様と一緒に写真をとって握手できる権』が500ドルで売り出され、これも早々に売切れれていた。ヒュー様、恐るべし。でも、カッコイイのよ、ホントに。(ま)


★ポテトのお供 10.6.2004

アメリカでは、ファーストフードからちょっとした高級レストランでもメイン料理のサイドディッシュとして付いてくるフレンチフライ(和名:フライドポテト)。これに何をかけて食すか、にもお国柄が出てくる。

まず、アメリカ。たーっぷりのトマトケチャップ。ファーストフード店では、自分で好きなだけ受け皿に取れる、ケチャップのディスペンザーがあるか、持ち帰りにすると、店員がむんずとつかんたケチャップの小袋10個くらいを1人分として渡される。レストランでは、テーブルの上に瓶入りのケチャップが必ず置いてある。そのポテトには当然塩も振ってあるわけで、結構なカロリーになりそうだ。

次にイギリス。フィッシュ・アンド・チップス(タラのフライとフレンチフライ)は国民食だが、このポテトにはをかけて食べる。フレンチフライトと酢の組み合わせ、ヘンに聞こえるかもしれないが、酢が油っこさを中和する感じで、慣れるとたまらなくいけるのだ。

そしてフレンチフライの出身地、ベルギー。塩は好み次第らしいが、絶対に欠かせないのはマヨネーズ。ベルギー人に言わせると、黄金色に揚げてこそ、フレンチフライ。アメリカのポテトは色が薄すぎるそうだ。それにしても、限りなく高カロリーになるのは間違いがない。

そして、ご存知日本塩のみ。まだ日本にいた頃、友人から「アメリカではケチャップをつけて食べるんだぜ。」と聞いて以来、ケチャップに憧れていた(ひ)。ファーストフード店では、ここぞとばかりにケチャップをつけまくっている。(ま)


★立場の違い 10.4.2004

トライアングル・エリアの多くの日本人の立場は、大まかに3種類に分けられる。「企業勤め」か、「研究職」か、「学生」だ。(そして、その家族。) 一口に「企業勤め」と言っても、複数の日本企業がある。「研究職」と言っても、人によって生活費の出所は様々だ。日本の企業や大学から給与をもらっている人もいれば、アメリカ政府や企業からの奨学金を受けている場合も、自分の貯金を崩しながら滞在する場合もある。「学生」だって、生活費から学費まで自腹もあれば、企業の社員としてお給料を保証されての留学もある。つまり、所得の差は結構大きいのだ。とは言え、狭い世の中。本人はもちろん、家族だって、普段はそんな「立場の違い」は余り気にせず付き合っている(少なくとも、私の周囲では)。ある日、そんな「立場の違い」を痛感する出来事があった。

地域の無料の英語のクラスで、『病院に行った時の、困った体験』について話し合っていた時のこと。皆、英語が通じずにどれだけ苦労したかを口々に語っていると、一人の日本人が「私は、全然困りません。」と発言した。先生が理由を聞くと、「だって、病院には、主人の会社から派遣された通訳の人がついてくるから。」

その場にいた全員が言葉を失った。非日本人は「日本人って、やっぱりお金持ち…。」と思っただろうし、病気で七転八倒しても通訳のつかない日本人は、これまた別の感情が浮かんだに違いない。気まずい雰囲気を察してか、先生は「それは、よい会社だわね。」というフォローをして、新しい話題へと授業を進めていった。私は純粋に興味深かった。授業の後、例の発言をした、顔見知りの女性に話し掛けた。

「今日の通訳の話、面白かった。正直言って、企業勤めの人と、それ以外の立場の日本人の差は大きいんだなぁと感じたよ。そう思わない?」
「そうだね。でも企業勤めは、本人が希望しなくても、会社の命令によって、家族の都合も考えずにアメリカに住まわされている。でも、研究者や学生は、家族も含めて、自分たちがアメリカに来たいから来ているんでしょ。だから、企業の社員や家族は、それだけのことをしてもらっても当然だと思う。」


その後も我々の話は続いたが、ここでは省略。今考えても、上記の質問は(ま)がアメリカ滞在3年間の中で発した、一番失礼な質問だ。それに対して、自分の考えをきちんと話してくれた彼女はとても器が大きいと思うし、その後の彼女の言動もやっぱり筋が通っていてカッコよかった。(ちなみに、(ま)より随分若い方でした。ひたすら尊敬。)そして何より、何と納得感の高い回答だろう! (ま)も、(ひ)についてアメリカには来たものの、渡米で自分が犠牲にしたもの(仕事とか)を考えては嘆くこともあったが、この回答を聞いて以来、「そうなのだ。結局、(ひ)も(ま)も、来たいからアメリカに来たのだ!」と割り切れるようになった。お給料の高さに加えて、飛行機のビジネスクラス、日本食のお取り寄せ、日本の雑誌の定期購読、等々、「いいよねー。」と企業勤めのご家族の生活が、そうでない立場の人々の間で話題になることは確かにある。あるけれど、私はその度に彼女の回答を思い出し、「それで、いいのだ。」と、深い納得感にひたるのであった。(ま)


★トンカツのBGM 10.5.2004

友人の韓国人ユミが、「日本の歌謡曲のCDを貸して欲しい。」と言う。聞くと、彼女の友人が隣街のケアリーで日本食レストランをオープンするのだが、BGM用の日本の音楽が欲しいというのだ。(余談:多くのアメリカの日本食レストランは、中国人か韓国人が経営している。日本食は人気があるし、単価が高いからね。)

「いいよー。」とは言ったものの、よく考えると(ひ)(ま)家に日本のCDはほとんどない。そこで思い出したのが、(ま)の友人のIさんが送ってくれたCD−R。このIさん、自室の壁一面をCDラックにしている程の音楽好き。で、以前送ってくれた流行のアルバムを焼いたCD−Rを、慌ててかき集めた。我が家に遊びに来た友人にあげたりもしているので「残り物」ではあるが、まあ贅沢は言わないだろう。翌週、ユミに「これ全部あげる。返さなくていいから。」と手渡した。ユミは感激していたが、(ま)は一抹の不安が残った。CDのアーティストは、桑田圭介、福山雅治、(この辺はいいとして、)モーニング娘。(ベスト版)、松田聖子(ベスト版2枚組)、中森明菜(ベスト版2枚組)。 そう、Iさんはアイドルにも造詣が深いのだ。ちなみに、その日本食レストランの一押しはトンカツらしい。という訳で、ケアリーの、韓国人オーナーの新しい日本食レストランで、トンカツを食べながら中森明菜を聞いて違和感を感じたアナタ。それは私の仕業です。スミマセン。(ま)


★一生に一度、一生に三度 2004.10.3

食事を終えて、口紅を直そうとポーチを出すと、インド人のジオティ(20代後半・既婚)が興味深そうに見ている。珍しいのかと思い、「これは、従姉妹にもらったパール付きの紅筆なんだよ。」とミキモトの紅筆を見せると、素直に驚いている。「キレイだね。じゃあ、これは何?」エッ、何って、これは普通の口紅だよ。「もしかして、化粧とか、しないの?」と聞くと、「ノー。これまでの人生で、一度もしたことがない。」との返事。日本人女性よ、信じられるか?世の中には、薄いとか濃いとかナチュラルメイクとかいうレベルではなく、一生化粧をしないままの女性もいるのだ。しかし、見れば顔立ちは日本人がどんなに化粧しても追いつかないほど彫りが深く、例の「おでこにポチッ」をつければ、それで十分に美しいのだ。

スロバキア人のルチアが母国について話をしていた時のこと。故郷の小さな街では、労働者や学生の為に昼食を出す食堂はあるものの、夜に改めて「外食」をするようなレストランはほとんどないという。 じゃあ外食はしないの、と聞くと「今までの人生で、3回ある。」との返事。外食産業花盛りの日本の人々よ、信じられるか?世の中には、人生で数えるほどしか外食をしない人達もいるのだ。さて、人生3回だけの外食、一体何を食べたのか? ある年の自分の誕生日に、ピザレストランに連れて行ってもらったのが1回。その時は、たまらなく嬉しかったのだそうだ。お姉ちゃんが大学に合格した時に、1回。あと一回は、忘れちゃったとのこと。聞けば、家で祖母や母親の手作りの料理を毎日食べ、日曜日にだけ母親が焼くケーキが何より楽しみという食生活。決して豪華ではないが、暖かいテーブルが目に浮かぶ。しかし、そんなルチアのアメリカで仕事は、レストランのウエイトレス。最初はアメリカ人の外食の頻度に驚いたそうだが、しかし一方、アメリカ人が一生に3度しか外食しなかったら、ルチアも困ってしまうだろう。(ま)


★育児法も色々 2004.10.2

(ひ)のラボのベルギー人夫妻は、いつも前日の夜に作ったランチを持ってくるという。朝は時間がないの?と聞くと、毎朝15分間、子供を抱きしめなくてはならないから、ランチを作る時間がないという。さすが愛のヨーロッパ。15分間ずーっと抱きしめておくのかなー、と不思議に思ったが、それ以上は聞かなかった。

ペルー人のキャシーに女の赤ちゃんが生まれたのでお祝いに行くと、ベビーベッドにが取り付けてある。「これは何のため?」と聞くと、赤ちゃんが自分の顔を見て表情を豊かにするためのもので、割とポピュラーはものらしい。ちなみにキャシーは、赤ちゃんにピアスをするのが待ちきれないと話していた。「こんなに小さい時分からピアスをするわけ?」と(ま)が驚くと、「だって、したほうが絶対可愛いじゃない。日本じゃ、なんでしないの?」と驚き返された。

インド人のジオティの家に遊びに行き、ベッドを見てギョッとした。3ヶ月の男の赤ちゃんがタオルケットでミイラ状にグルグル巻きにされた状態で、横たわっていたのだ。顔だけ出して、足や腕は当然タオルケットの中。そして顔には、白い粉のようなものが塗りたくってある。 これはインドの風習か? かなり異様な光景だが、他国の風習の違いに過度に反応してはならない。 ビビりつつも何気なさを装って、「ど・どうして、グルグル巻きにしているの?」と聞く(ま)。すると、「顔に湿疹が出来ているの。顔を手で掻かないように、こうするんだって。」そう言いながらジオティは、子供の顔に再び白い薬を塗りつけた。「インドの風習?」と聞くと、「違うわよ。アメリカ人の医者が言ったからやっているのよ。」と笑いながら答えてくれた。聞かなかったら、インドの育児に対して、大きな誤解を持つところだった。世の中には、日本と違う育児法方があるのだ、という当り前のお話でした。(ま)


★虚弱体質に、渇! 2004.10.1

冬場に若い日本人女性が集まると、不思議と必ず「冷え性」が話題となる。それはアメリカでも同じ。英語クラスの休み時間に、数人の日本人女性が冷え性について語り合っていた。この手の話題の場合、不思議なもので、その虚弱な感じがどことなくはかなさを演出するのか、冷え性のひどい女性ほどヒロインになりがちなである。そこへ、日本好きの中華系タイ人、フーンが登場。話を訳すと、いきなり中心人物(冷え性の女性)の手を握り、「うん、アンタはダメツ!手がこんなに冷たいわ。『陰の気』が強いのよ。私の手を触ってみなさい!国のお母さんが送ってくれる漢方薬を毎日飲んでいるから、こんなに暖かいでしょ。女性はこうでなくっちゃ!!」と言い切った。ついでに(ま)の手も握り、「うん、アンタの手は私と同様、暖かいわ!よしっ!」。 この、『陽の気』に満ち満ちた余りにも正しい診断を下した後、あっけに取られる日本人集団を置いて、彼女は颯爽と去っていた。(ま)




| 2011ふたたび | Daily Life | 2004 | 2003c | 2003b | 2003a | 2002 | 2001 |
| People | English | Kitchen | Culture | WASURE | Sports | 停電 | 胃潰瘍 | 病院 | お薬 |


NC27517 - since 3.15.2003
All Rights Reserved

NC27517
HOME