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3行アメリカ Cultural Difference

純粋に感動することも、戸惑って考え込んでしまうことも。3行では言い尽くせないけど…



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<旅のつれづれ2> 肝が冷えた体験 6.2.2004

幸いなことに、アメリカ生活で危険な目に会ったことはない。治安が悪い場所には近づかないなど、最大限の努力をしていることはもちろんだけれども、それでも肝が冷えた体験はある。
ひとつはNY旅行の時。国連本部を見学して地雷の恐ろしさを肝に銘じながら、帰りのバスに乗っていたその時に事件は起こった。路上駐車の多い、細い道路をゆっくりと進んでいたバスの後部から、突然ドーンという大音量と共にガラスの割れるバキバキッという音。場所はテロの標的ニューヨーク、時は爆発物の恐ろしさを学んだ直後。「これって、爆発?!」(ま)は身構えた。 車内は一瞬の静けさの後、運転手が深いため息。恐る恐る後ろを振り返ると、後部客席の窓ガラスが割れ、そこに路上駐車中のトラックのサイドミラーが突き刺さっている。そう、我らがドライバーは、停止しているトラックにぶつかったのだった。「ペーパーワークがあるから、降りてくれ。」と悲しげなアナウンスと共に、乗客は外に吐き出されたのだった。あの席に誰も座っていなくてよかった。

お次は、アメリカの政治の中心、ワシントンDCにて。警備が厳しいのはすっかり慣れたが、お昼休み時にジョギングしている人々を、警察が車の中から双眼鏡でチェックしているのを見たときにはちょっと驚いた。常に厳戒態勢なのだ。ちなみに地下鉄の駅は、核シェルターになるという噂がある。確かに構内は頑丈なつくりで、必要以上に深い場所にあるように思われる。
さて、そんなDCで夕食を食べに行こうと車を運転していたら、分かりづらい都市高速で迷ってしまった。おりしも場所は、国防総省ペンタゴンのすぐ近く。実際にペンタゴンの五角形の建物も横目で見える。(どんな場所にも7分以内に到着できるように、あの形らしい。)この付近一帯は、都市高速の降り口ごとにパトカーが停まっており、重々しい雰囲気をかもし出している。運転していた(ひ)が、「うーん、よく分からん。ここで降りるか。」と、ある出口で右折。案内看板を読んだ(ま)は凍りついた。「こ、この道は『ペンタゴン 東駐車場 降り口』って書いているよ。」「えーっ、ペンタゴンに着いちゃうのぉ?!」時既に遅し、都市高速のランプを逆走することも出来ず、ペンタゴンの建物がぐんぐんと近づいてくる。そしてついに『ペンタゴン 東駐車場』に到着。夕方7時過ぎのガランとした駐車場の向こうに、テレビでお馴染みのペンタゴンの建物が、我々の目と同じ高さにその威容をほこっている。何も悪いことをしている訳ではないが、一刻も早くこの場を脱出したい。いや、いっそのこと警備が来て、帰り道を案内してくれたほうがいいような気もするが、もしも怪しい人物と間違われたらどうしよう。「道に迷いました。」という言い訳が通用するだろうか。恐怖感一杯で、とにかく駐車場の中を走って、やっと出口にたどり着いたときには心底ホッとした。そして大笑い。所要時間約5分。でも永遠に感じられた。今でも「ペンタゴン駐車場 突入事件」は我が家の語り草になっている。

ふたつとも、2001年の同時テロ以前なら、こんな恐怖感を味わうことはなかっただろう。NYは軽い事故、ペンタゴンはただの道間違いだった筈だ。アメリカに住む市民として、テロに巻き込まれるかもしれない。アメリカに住む外国人として、素性を疑われるかもしれない。何か起きるたびに常に頭をよぎる疑心と恐怖、それがあのテロによって我々が受けた傷なのかもしれない。(ま)


<旅行のつれづれ1> 美術館の入場料 6.1.2004

各地を旅行中に考えたことなぞをいくつかお話するこの小企画。さて、以前、ディベートのクラスで「人はなぜ、旅行中に美術館に行くのか。」というお題が出たことがある。そんなこと、考えてみたこともなかった。確かに「美術品より、その土地の風景を見よう。」という発想もあるだろう。とはいえ、(ひ)(ま)家も旅行中に美術館を訪れることは多い。それらの入場料は、アメリカの物価と比較して決して安くはない。が、いろんな抜け道があるのだ。

まず、多くの美術館には入場無料や"Pay as you wish"という時間帯(主に週に1回、夕方や休日の午前中など)がある。例えばハーバード大学の博物館は日曜日午前中が入場無料だった。でも勝手に入場できる訳ではない。一応、受付で自宅のZIPコード(郵便番号)を伝え、入場券を発行してもらう。 フィラデルフィア美術館は、やはり日曜日の午前中が"Pay as you wish"の時間帯。これは、「入場料は、あなたが払いたいだけ。」というもので、10ドルの入場料に対し、タダでもいいし、100ドル払ってもよい。 とはいえ、一組づつ窓口に呼ばれ、係員から「いくら払いたいですか?」と聞かれれば、「タダで入る。」とは言いづらい。でも、せっかく早起きして来たのだから、定価を払うのも癪だ。結局、1人分の料金で2人入場した。朝一番で入場し、堪能して12時ごろ出ると、何と受付を待つ長蛇の列が建物の外まで続いていた。こりゃ、普通の入場料を徴収するより手間も時間もかかっているぞ。しかし、このシステムは訪れる人達も安い入場料目指してその時間に来る努力しているのだから、正々堂々としていて私は好きだ。(これらのお得な時間帯は、各美術館のHPでチェックできます。)

ボストン美術館では、「明日で期限が切れるから」と年間会員証をもらったことがある。おそるおそる会員専用の受付に行くと、IDのチェックもなく無事にパス。しかし後ろを見ると、我々を見てやってきた5名程度の日本人の方が「ここは会員専用です。」と断られ、困られていた。どうもスミマセン。 逆に、NYのメトロポリタン美術館では建物を出たとたんに「そのバッジ、くれない?」と女子高校生から声をかけられた。この美術館では、入場料の支払いと交換に青いバッジをくれるので、これさえ入手すればタダで入り込めるらしい。バッジは(ひ)のコレクションに加えるためお断りしたが、この美術館の入場料は「提案価格」。つまり、「入場する場合、11ドルが妥当です」という訳で、お金がないけれども入りたい場合は、少ない金額を支払っても入場を拒まれることはないのだ。「貧乏人には美術を楽しむ権利がないのか。」という訴えに対応してのことらしい。NYらしい話だ。とは言え、NYまで遊びに来ておきながら、美術館の入場料を値切るのは「あまりスマートではない」のは確か。(ひ)(ま)は定価を払ったぞ。

最後に、(ひ)(ま)家のもっともお気に入り、ワシントンDCのスミソニアン博物館群を紹介する。美術館に彫刻庭園、歴史博物館に自然史博物館に航空博物館などが一箇所に集中していて見ごたえ十分なのだが、これらは何と、すべて、入場料がタダ! (ひ)(ま)家は、何度通ったことか。もちろんタダというのはお財布にも優しいのだが、それ以上に美術作品との新しい対話の仕方を教えてくれた。というのも、DCに夕方に到着して「じゃあ、ちょっとロートレックとモネとセザンヌのある部屋だけ見に行こっか?」とふらり、 30分時間が余ったので「じゃあ、塩野七海さんの小説に載っていた、ローマの王様の肖像画を探しに行こうか。」とぶらり。「高い入場料を払ったから、しっかり見なきゃ。」とか、「スケジュールが詰っているから、早く行って、鑑賞して、早く出なきゃ。」とか、そんな心の焦りや時間の束縛を気にすることなく、好きな時にのんびりと時間を過ごせるのだ。こちらが心の平穏をもって美術作品を見れば、それはますます心に語りかけてくる。入場料を払っている故の「ありがたさ」がないところでも、本当の美術作品はやっぱり美しい! タダといってあなどるなかれ。展示品の質も量も一級なのはもちろんのこと、NYはじめ他の美術館と比較しても、解説や表示が一番見やすく分かりやすいのも、このDCの美術館なのだ。お薦めです。 (ま)

余談)DCの美術館の1階の渡り廊下に、小学生が書いたような下手くそな犬の絵がある。解説を見ると、「タイトル『犬』、アメリカ、作者不明」と記してあった。こんなもの、入場料払って見せられたら、やっぱり怒っていたかもしれない。


事実は小説よりも奇なり 3.9.2004

と話題になっている事件があります。火事で焼死したと断定された生後10ヶ月の赤ちゃんが実は誘拐されていて、実の母親が6歳になった彼女に偶然出会った時に自分の娘だと確信し、髪の毛についたガムをとってあげるフリをして髪の毛を数本抜いて、それをもとにDNA鑑定をした結果親子関係を証明した、というフィラデルフィアで起こった事件です。
こういった報道の文面だけをそのまま受け取ったら確かに一つのドラマチックな出来事ですが、そもそも何故このようなことが起こってしまったのでしょうか。実はこの母親は、スペイン語圏出身で英語はほとんどしゃべれないそうです。思うに、火事が起きて赤ちゃんがいなくなった時、警察や消防は適当に調べただけで遺体もろくに探そうともせず、おそらくは泣き叫んで娘を探してくれと懇願したであろう母親を適当にあしらって、骨も出ていないのに「はい焼死」と軽く処理したのでしょう。容易に想像がつきます。悲しいかなアメリカとはそういう国なのです。
お母さんは決してあきらめなかったのだと思います。娘を思う気持ちと執念が、子供の成長という意味では永遠とも言える5年以上の歳月を乗り越えさせたのでしょう。その間に、ガムをとってあげるフリをして髪の毛を、という作戦も周到に練っていたのでしょう。単なる偶然に起きたドラマではないのです。
この事件の始終をドラマ化させてくれ、という依頼が母親の元に殺到しているそうです。ドラマ化するとしたら最も強調して紛糾すべきはいい加減な処理をした警察や消防の、しかも組織ではなくて実際にそうした本人たちですが、しかしやはり彼らが実際に罪を問われ矢面に立たされることは決してないでしょう。誘拐した容疑者にもうまい弁護士がついて、酌量に訴えて大きな罪は逃れるでしょう。多分に裁判とは、合法的もみ消し・合法的すっとぼけ・合法的ゆすりに利用されるのがアメリカの一面です。それが全てではないけれど、アメリカとはそういう国なのです。
6歳にして母親が実の母親ではないと分かった娘さんは、最初は動揺して混乱したものの落ち着きを取り戻して事実を理解し冷静に受け入れたそうです。そして実の母親との面会を重ねるうちに保護官から問題なしと判断されて、5年ぶりに実の母親との生活を始めたそうです。コミュニケーションはまだうまくできない(英語とスペイン語)そうですが、お互い勉強していくつもりだとか。がんばってね。今はただ彼女たちの幸せと静かな親子水入らずの生活を祈るばかりです。(ひ)


『ゲイ』と呼ばれる喜び 3.3.2004

只今アメリカでは、一部の都市が同性同士の結婚を認めた(結婚証明書を出した)というニュースで大賑わいだ。アメリカでは当り前の、老人同士のキスシーンは(やっと)見慣れた我々も、同性同士のキスシーンには、やっぱりちょっとドッキリしている。アメリカはホモセクシャルやレズビアンは寛大なイメージがあるが、実は差別や偏見も多い。しかし、反対意見の根底にあるのはキリスト教の教えなので、キリスト教徒でない(ま)は、別にこれといった不快感も持っていない。というより、ホモセクシャルのアメリカ人の友人も3人いるが、皆親切で、心の温かい人たちだ。そのうち2人はカップルで、豪邸に遊びに行ったとき、各部屋を案内されながら「ここが僕達のベッドルームだよ。」とサラリと言われた時は、一瞬(ひ)と顔を見合わせたが、あとは至って普通の付き合いをしている。思うに、一種「異端」の存在である彼らだからこそ、外国人という「異端」である我々もすんなりと受け入れてくれる度量があるのではないか、というのが(ま)の考えだ。

さて、その彼らをニュースで呼ぶときの総称は"Gay"(ゲイ)だが、この言葉、数十年前は存在しなかったらしい。そして、『ゲイ』という言葉はもともと「陽気な、明るい」という意味だったらしい。今以上の差別や偏見があったであろうその時代、同性愛者たちを『ゲイ』と呼び始めたのは、何を隠そうその本人達だったという。「日陰の身」的イメージを払拭するために、自分達を「陽気で明るい人々」と呼んだ彼らの苦労が偲ばれるエピソードだ。そして今、ゲイの結婚を認めるかどうかは大統領選の争点の一つでもある。時代は変わった、と言えるだろう。(ま)


日本のバカのゆくえ 2.19.2004

英語クラスで、出身国の紹介をする番が回ってきたので、プレゼンをした。(海外に住むと、公式・非公式含め、こういう機会がやたらと多い。) 高校進学率は90%を超え、大学・短大・各種専門学校への進学率がその80%を超える。と言うと、皆は教育水準の高さに驚いていた。文盲の人は99.99%いないと言うと、クラスにどよめきが。日本では当り前だけれども、世の中には文盲の人がいない国なんて数えるほどなのだろう。日本がいかに教育に力を入れている国か、分かるというものだ。
そこへ、アメリカ人のJが、恐ろしく素朴な質問を口にした。「バカ(stupid)はどうするの?」 …文字が読めないほどのおバカさんはどうするのか、という意味だ。考えてもみなかった。日本ではどんなバカでも入る高校があると思っていたけれど、どんな高校であれ入るにはある程度(少なくとも、答案用紙に名前を書ける程度)の教育は必要な訳で。そんな人のことまで考慮しなければならない社会があるとは、逆に新鮮な驚きだ。唖然とする(ま)に助け舟を出すように、「どんな人間も、教育によってある程度の水準に達する、というよい見本ではないのか。」とアメリカ人のDがまとめた。と、そこへアメリカ人のHより、「でも、みんなが高水準の教育を受けていたら、誰がマクドナルドとかで働くの?」という、教育水準が収入に直結するアメリカらしい質問が出てきた。学生のアルバイトやフリーターについての説明をしたが、逆にいうと、単純作業を一生の仕事として生活する人生も(その賃金で生活出来るという環境も)一般的なんだな、と実感。日本を説明しながらも、質問によって日本の特異性が明らかにされる、なかなか面白い時間だった。(ま)


フェミニズムの国の一意見 2.15.2004

英語クラスで、生徒が出身国を紹介するコーナーにて。この日は、インド人女性がプレゼンを担当。「どうしてカシミールを攻撃するんだ?」と、相手の嫌なことばかり質問する輩が必ずいるのは別として、基本的には皆、礼儀正しく質問しつつも、カースト制度や親が勝手に相手を決める結婚制度について興味津々。きっちりと答えてゆく様子を聞きながら、「他者には理解不能な事柄も、本人には納得できる理由があるのだ。」と実感。「女性は職業を持てないのでは?」という質問に、「そんなことはない!女性も仕事を持てる。でも、家の中にいることが多い。」との答えに、アメリカ人Jが明るく一言。「ああ、アメリカと同じね。男女は平等だけど、女性は家にいたがる。ハハハ!」(ま)は、この正直な意見に妙に納得。確かにこの国、共働きも多いけれど、専業主婦も結構いるのだ。Jは3人目の子供を昨年出産。さぞや忙しいと思いきや、家には住み込みのベビーシッターがいるとかで、昼間はボランティアで英語を教え、夜はこれまた若いご主人とふたりでデート中を度々目撃。優雅なご身分なのだ。男女平等を訴えつつも、結構「女性は家に。」という発想も(男女ともに)根強いのかも。(ま)


独立記念日 2.2.2004

たまーに、「日本の独立記念日はいつ?」と聞かれて困ることがある。日本は基本的にずっと独立していたので、独立記念日は無いんじゃないかなー。あ、でも建国記念日はあるよ。えっとねー、あれ、いつだったっけ…?(注:2月11日)、というのが(ま)が出来る説明だ。こんな質問がある通り、アメリカには独立記念日がある。7月4日は、独立戦争で勝利を収め、イギリスから独立を果たした、誇り高い祝日だ。各地で盛大に花火が上がる。ある年、「今晩、花火を見にいく?」と友人に聞いたら、「ケッ、お祝いなんかしないよ。」という返事が返ってきた。彼はイギリス人だったのだ。さて、韓国にも独立記念日があるらしい。それは8月15日、つまり我々の終戦(敗戦)記念日が、彼らにとっては、日本からの独立を祝う日なのだ。これを知ったとき、妙に納得した。コインの表裏のように、ある国にとっての不幸が、ある国にとっての幸福なのだ。それぞれに言い分はあり、国同士の利害が一致しない事実に気づくことが、相互理解の第一歩だったりする。先日、インド人がインドの独立記念日の話をしていた。8月15日らしい。ええっ?!日本はインドも植民地支配していたっけ?、と怪しげな世界史の知識を掘り起こして考えていたところ、独立はイギリスからのもので、年も1947年と異なり、日付は偶然の一致に過ぎなかった。ホッと一安心。(ま)


「欧米」という言葉 1.15.2004

以前、(ま)の両親がアメリカに遊びに来た時に「どれくらい滞在するの?」と聞かれて「10日間」と答えると、多くの人の反応は「あらぁ、短いわねー。」というものだった。確かに周囲を見ると、ヨーロッパ人の両親など1ヶ月単位で滞在、中国人の親戚など半年間くらい平気でいる。(ビザはどうなってんだ?)
さて、今回「クリスマス休暇で、ジャマイカに10日間」と言うと、アメリカ人は「あら、いいわね。」という反応が多かった。クリスマス休暇は家族で集まるイベントがメインなので、旅行はしても1週間程度が多いそうだ。ところが、ジャマイカのホテルで出会うヨーロッパ人達に「滞在は10日間」と言うと、「あらっ。」とちょっと不満げな顔をする。彼らの場合は、2週間が標準なのだ。

この例からも分かるように、アメリカとヨーロッパでは、バケーションの感覚が大幅に違う。ヨーロッパでは、クリスマス<冬>、イースター<春>にそれぞれ2週間、バケーション<夏>で1ヶ月の休みも普通なのだ。(小学生の話ではなく、社会人の話です。)アメリカ人は、そんなに長い休みは公には取らない。(自主休業は多いけれど。)
という訳で、アメリカに住んで初めて知ったことのひとつは、「アメリカとヨーロッパでは、思想から習慣から文化に至るまで、大きな違いがある。」ということ。そこで、一言。日本語の「欧米」って言葉、かなり横暴では? だって、「欧」と「米」は大きく違うのだ。今度、物知り顔で「欧米では…」なんて語る人がいたら、「欧」と「米」のそれぞれの状況を理解しているか、突っ込んでみるべし。ちなみに、「日本でも欧米を見習って、休暇の取得増進に務めるべきだ。」なんて、知ったか顔で語る評論家の皆様、私は見習うなら「欧」の方がよいかと思います。(ま)


デブ免疫 12.1.2003

タイトルからして直接的で申し訳ないが、とにかくアメリカには日本でお目にかかれないほど太った人が多い(質、量とも)。「自分の体さえコントロールできない人間が、他人をコントロールできるはずがない」ので肥満が出世の妨げになる、というまことしやかな話が仮に本当だったとしても、都会で大企業勤めで出世する人はほんの一部なので、多勢に影響はないのではないか。あえて言うと、都会より田舎のほうが肥満率は高いかな。しかし、本当にアメリカの肥満の程度はスゴイ。「ビア樽体形」とはよく言ったもので、もし輪切りにしたら、断面図が樽みたいにまん丸だろうな、と思わせるほど立体的に太っている。そんな人たちも、あまり周囲の目を気にせずノースリーブを着たり、水着でビーチに寝そべっていたりする。最初は驚いて凝視したりもしていたが、もう慣れた。逆に、かなり太っていても顔や手足はスラリとしていたりするのは驚きだ。こじんまりした可愛い顔してビア樽なのだ。これは人種の違いだろう。
で、何を言いたいかというと、「太っていてもいい人はいる」ということ。当り前のように聞こえるかもしれないが、現実問題として日本では太っているだけで人格まで否定されかねない。でも、ここアメリカで太っている人の人格をいちいち否定していたら、友達が出来なくなってしまう。いつも(ひ)を暖かく見守ってくれるテクニシャンのJも、サンクスギビングに(ひ)(ま)家を招待してくれたCも、店で見ず知らずの(ま)にクーポンをくれたおばさんも、皆かなり太っているけど、それ以外は何の変わりも無い普通のいい人たちなのだ。まあ、中には病的に太っていて障害者認定まで受けている人もいるけど、それは別の話。普通に(日本人の3倍くらいまでの)肥満であれば、本当に普通に生活している普通の人たちなのだ。最近こういう発想に至ったこと自体、我々もかなりデブ免疫がついてきたといえよう。で、たまに日本のテレビを見ると、出演者が痩せすぎていて難民のように見えてしまうことがある。(ま)


小金持ち認定?? 11.26.2003

(ひ)(ま)家では現金を持ち歩かなくなって久しい。どこに行ってもクレジットカード1枚で事が足りてしまうからで、これは非常に便利だ。最近は銀行発行のデビットカード(クレジットカードとはちょっと違う)でもほぼ同じ機能を果たすので問題はないのだが、実は渡米直後でクレジット・ヒストリーの無い外国人がドル建てのクレジットカードを作るのは至難の業<というより不可能>らしい。(ひ)はイギリス人のボスS氏が「自分も苦労した」という体験から、国立の研究所で働いているという信用でクレジットカードを発行してくれる銀行に連れて行ってくれたので、ラッキーにもすぐにカードを作ることができた。しかしこの場合、限度額が低く設定され、しかもその限度額分はセービング・アカウントにキープしておくことが条件だった。よく考えたら非常にフェアなシステムだ。実際に利用していると痛感させられるのだが、クレジットカード決済も立派な「ローン」で一時的とは言えれっきとした「借金」なので、貸し付ける銀行側もそれなりに条件を付けるのは当然。お互いの納得のもと、無理のないクレジットカード・ライフにはこのようなフェアな条件はある意味必要不可欠と言える。発行枚数を増やすために乱発し、結果カード破産など社会的問題を産みだしている日本でも考え直す必要が大いにあると思う。
さて最近、必要があってこのクレジットカードの限度額を増やすことにした。当然セービング・アカウントにキープしておく額も増えるだろうというのは納得済みだった。ところが、3年弱の間全く問題なく使っていてそれなりにヒストリーができたのか、返ってきた言葉は「もう限度額分をキープしておかなくていいよ。それからついでに利息率も下げておくから」。実はこれは考えたらすごいことだ。つまり、まあ大した額ではないのだが問題なく借金できるお墨付きをいただいたわけで、「小金持ち認定」を受けたとでも言えないことはない。信用ができると寛大になるアメリカ社会の一例か。まあ、実際の懐具合は何も変わってはいないのだけど、ね。(ひ)


善意が善意であるために 11.21.2003

久しぶりに週に1回の英語クラスに通いだして2ヶ月がたつ。ここでは地域の人がボランティアで英語を教えている。先生達もプロではないのだが、リタイア後、子供が巣立った、産休中、など様々な人生の「自由時間」を地域に還元しようとする人たちで、その姿勢には感心することが多い。以前通ってたコミュニティカレッジと並べても、先生の「生徒の親身になる」度合いが違う。車を持たない生徒に対し、クラスまでの送り迎えも先生がしていると聞いたときには驚いたものだ。

さて、ある日我が家に謎の電話がかかってきた。聞き覚えの無い女性の声が、アクセントのある英語で「明日、私を迎えにきて欲しいんだけど。」と言う。(ま)には全く心当たりがない。「あなた、誰?どこで私と会った?」「ヴィシよ。」「??」「私を覚えていない?先週英語クラスでサリー(インドの民族衣装)を着ていたの。」「…」(クラスがあっている図書館のエリア柄、生徒の半分以上はインド人なのだ。)とにかく知らないインド人からの突然の不気味な電話に戸惑うも、ひとつハッキリさせておきたいことがあった。「私の電話番号をどこで知ったの?」答えを聞いて納得。先生が忙しいときに、(ま)が何度か送り迎えをして友人になった別のインド人(妊娠中)からだった。しかし、人の電話番号を勝手に教えるとは非常識な。それも本人が知らない人に。まあ、インド人は仲間意識が強いので、有益な情報はシェアするし、また質素な生活をしている人が多いので、車の相乗りも普通なのだろうけど。驚くやら、気味が悪いやらで、電話を切った後、(ま)はしばし考え込んだ。

強引な申し出に、翌日は迎えに行くことになったものの、納得はいかない。それでなくとも、行きがかり上、近所に住むスロバキア人を迎えに行って一緒にクラスに行く予定になっているのだ。おまけに(ま)はクラスの後にラーレイ(州都)に行く予定がある。誰かに迎えに来てもらった人は、当然帰りの交通手段も必要になるのだが、(ま)には迎えに行った人全員を再び家まで送り届ける時間は無い。困った。よく知っている友人、それも通り道に住んでいるひとりを、自分も用事があって行くところに車に乗せるのは別に問題ではなんだけれど、それが大して知らない人だったり、自分の希望しない余計な労力や時間がかかるのはちょっとね。そんな憤りを感じる(ま)が、(ひ)とも話し合って出た結論は「善意は義務ではない。」

冷たく聞こえるようだが、実はアメリカは日本よりも「善意」の精神が生活に根付いている。ここで言う善意とは、気持ちだけでなく、時間やお金や労力など現実的な話だ。ボランティアや寄付も盛んだし、前出の先生達も然り。提供する側もそれを自然なこととして扱うし、受け取る側も別に遠慮はしない。よって、ここで大切なのは「自分が出来ることと、出来ないこと(ここに自分がしたくないこと、も含むのがアメリカ流)をハッキリさせること」なのだ。言い換えれば「無理をしないこと」。自分が快適な範囲で、持てる力を提供してゆく。(ま)もあることを心に決めて、眠りについた。

しかし、その夜はあまり寝付けなかった。なぜならば、最近急激に増加中のインド人コミュニティの全員が(ま)の電話番号を知っていて、「私も迎えに来て!」という電話がひっきりなしにかかって(ま)の愛車が送迎車状態になる、という夢にうなされたのだった。不気味な電話のインパクトは大きい。

翌日は、例の妊娠中のインド人からも電話があり、結局3人を迎えに行った。そして「悪いけど、帰りは用事があるので皆を送れないの。先生に相談しようね。」と(ドキドキしながら)宣言。3人も「あ、そう。」という感じで納得。面白いことに、別の善意が待っているもので、先生や他のクラスメートが3人を送り届ける手はずが、あっさりとついた。何も自分ばかりが無理をすること無いんだな、と実感。日本人らしく「嫌なことも我慢して。」なんてやっていたら自分が疲れるばかり、誰も誉めてはくれない。善意は寛大に、でも自分の快適な範囲で。勉強になった出来事だった。(ま)

パウラーの独り言 10.18.2003

実はここだけの話、(ま)は国務長官コリン・パウエルのファンである。顔がパグ犬みたいで愛嬌があるではないか。同じことを考える人は必ずいる訳で、以前はO嬢と二人で、ご本人を「パウパウ」と呼び、「私達、パウラー(パウエルのファン)。」などと盛り上っていた(馬鹿ですねー)。伝記「アメリカン・ジャーニー」も読んだぞ。日本語版のほうが読み易かったけど(当たり前)、アメリカ版の方が写真が豊富だった。彼はハト派で知られるが、タカ派ばかりのブッシュ政権の中ではめちゃくちゃ分が悪いのはご存知の通り。国連を説得していた頃はアメリカ国内でも目立っていたのに、失敗してアメリカがイラク戦争に突入した後は、アメリカ人の友人Aの言葉を借りると「ブッシュの使いっ走りに成り下がった」そうで、すっかり以前のパワフルさが無くなった。パウラーとしてはつまらない限りである。
でもね、私の勝手な想像だが、彼の以前の戦争回避・外交重視の姿勢は、自身の戦場での経験から来ているのではないか。(パウエルは、政治家ではなく軍人です。)朝鮮戦争やベトナム戦争で現地に赴いた経験から、戦場で毎日何が起こっているのかを知っているからではないか。なぜこんなことを思うかというと、アメリカでニュースを見ていても、戦争の「残虐さ」が伝わってこないからだ。テレビの映像も何となく「資料映像」っぽいようなものが多いし、硬派な雑誌のグラビアを見ても「頑張っている米兵の図」とか「墓にすがって泣く民間人」とか、情緒的というか映像美的なものが多い。(もちろん放送コード、報道規制もあるでしょう。) 今は知らないけど、(ま)の子供の頃は毎年夏になると平和教育があって、戦争に関する本を読まされ、老人の体験談を聞かされ、悪夢を見そうな程の強烈な写真を見せられ(長崎だけ?)、ある種刺激療法的に戦争の悲惨さを刷り込まれていた。今のアメリカ人の幾人が、空爆のその瞬間に地上で起こっている事実を想像する力があるだろうか。そんなところに自分の家族を兵士として送れない、と思うだけの鮮明な映像は浮かばないのだろうか。ひとりの人間として、米兵が毎日のように死んでゆく事実には胸が痛いし、でもそれほどの憎しみを作った攻撃も決して正当化されるべきものではないと思う。歴史的に国土外で戦争をし続けてきた国アメリカが知らない「戦場の事実」を、誰か教えてあげる人はいないものだろうか。(ま)

(このコラムは最近読んだ宮部みゆきの「東京下町殺人暮色」に影響を受けて書きました。パウエルの話は結局ただの前置きになってしまった。ゴメンよ、パウパウ。)


似てない親子 その2 10.15.2003

以前、人種の違う養子の話を書いた。TIME誌によると、アメリカ国内の養子の13%は海外生まれで、そのうち48%はアジア生まれという。(16%はヨーロッパ。)テレビでは、生後2ヵ月半でやってきたベトナムからの養子に、アメリカ・ベトナム両国の文化を知って欲しいと、ベトナム料理のマスターに精を出すアメリカ人の母親なども紹介され、いい話だなー、なんて気楽に思っていたのだけど。先日、ある韓国人から、アメリカ人の養子として育った韓国人と出会った時どんなに複雑な思いをしたかを聞くにいたって、養子を出す側の国の立場がようやく飲み込めてきた。つまり、養子を出す国側にはそれなりの事情がある訳で、それは彼らにとって決して誇れる事実ではないのだ。貧しい国から富める国への子供の輸出、と言っては言いすぎか。しかし経済的困難だけが理由でもない。中国人のリンによると「中国は一家族一子制になってるでしよ。でも男の子が欲しいから、女の子が生まれたら海外に養子に出したりするよ。」とのこと。インド人の友人によると、インドも数年前から一家族一子制を奨励しているそうで、今後もアジアからの養子は増えそうな予感。アジア人として複雑な気分である。(ま)


編集会議 9.25.2003

二人が好き勝手に書いているように見えるかも知れませんが、実は(ひ)(ま)家では時々「この記事は、ホームページに載せるのに妥当か。」という編集会議をすることがあります。大体問題になるのは、特定の国籍のネタについてです。話し合うたびに、ひとつの痛い現実に突き当たります。
アメリカには、いろんな国籍をもった、もしくはいろんな国籍をルーツに持つ人々が住んでいます。とはいえ、決して「皆仲良し」な訳ではなく、お互いを嫌い合ってけなしあって摩擦も起きつつ、それでも何とかやっていっているのです。例えば各国籍にまつわるイメージは、最近実際に聞いた話だけでも「○○人はお金に汚い。」「○○人がいるから治安が悪くなる。」「○○人は法律を守らず好き勝手に振舞う。」「○○人が来たから○○人が職を失う。」「○○人を嫁に貰うとよく働くからラッキーだが、人間としては尊敬できない。」などなど。これがヨーロッパになるともう国籍間のブラック・ジョークは当り前で、「ケチな○○人が作るトマトスープは、赤い色の皿に水をいれただけ。」など酒の席での笑い話になります。この「悪口」の原因は、国民性や文化や生活レベルの違いもありますし、たまたまその人が悪い印象をもった人物がその国籍をもっていた、ということもあるでしょう。賢明な読者の皆様はお気づきでしょうが、国籍で人間をひとくくりにするほど単純であいまいな話はありません。でも、同時に、そうでもしたくなるような現実に突き当たることも事実。何にはともあれ、このホームページでは出来るだけ自分達が見たもの・聞いたこと・体験した事実を書こうと思います。(ま)


メイド・イン・チャイナのアメリカ 9.15.2003

以前、日本人会の役員をしていた時に、新しく越してきたばかりの日本人から「どこに行ったらメイド・イン・チャイナではないものが買えますか?」という質問を受けて困ったことがある。我々日本人は今でも「中国製」と聞くと「安かろう悪かろう」と意識がありつつ同時に大きな恩恵も受けているが、アメリカは日本の比ではない。人件費が高いのは日本と同様なので、家具から服から小物に至るまで値段の手頃なものはほとんど海外製、中でも中国製の占める割合は驚くほど高い。いろんなものをひっくり返すと、おなじみ金ピカ楕円形「Made in China」のシールが貼ってある。「もしアメリカと中国の貿易が中止になったら、中国も困るだろうけどアメリカも生活が成り立たないよね。」というのが我が家の見解。一方で、この事実がアメリカの失業率の高さにもつながっているんだろうけど。ミシシッピー川を上る、漢字の書いているコンテナを山ほど積んだ巨大なフェリーを見やりながら思う。もはやアメリカは、中国製(Made in China)と言っても過言ではない。(ま)


メイド・イン・アメリカの意味するところ 9.15.2003

オーガニック食品を扱う店で買い物用バッグを買ったところ、アメリカ製だった。珍しいな、と思いつつラベルを読むと「…ということは、強制労働者や子供の労働者のよる製品ではありません。」と書き添えてある。納得。一部のアメリカ人は、東南アジアや南アメリカの労働環境の悪さを指摘し、人権問題として捉えている。その矛先が向けられている会社のひとつは、何とスポーツ用品メーカーの「ナイキ」。スニーカーを東南アジアの子供が作っているとかで、不買運動まである。この事実を知った当初は、「ナイキのスニーカーを履いていたら非人道的な人間と思われたりするのか!?」とヒヤヒヤしたものだが、一方ナイキのアウトレットはいつも大繁盛で、そんな批判も何処吹く風。いろんな考え方が共存しているようで。(ま)


漢字 9.17.2003

突然ですが(ひ)は日本語の文字が大好きです。特に漢字、その形や成立ちなども理解すると美しいとすら感じてしまうほどです。アメリカ人も分からないながらに魅力は感じるのか、意外なほどにあちこちで漢字を見かける機会があります。日本人がアルファベットを何となくかっこいいと思うように、漢字もアメリカ人からは「クール」に感じるのでしょう。さらに意外なことに、彼らは漢字を日本語ではなく中国語だと認識して書いています。そりゃ確かにそうだったわな、失礼失礼。あるハチミツ屋の兄ちゃんが「女王蜂」と書いたポスターを誇らしげに「これはチャイニーズで蜂のキングという意味なんだぜ!」と自慢していたこともありました。「そりゃキングじゃなくてクイーンだよ」と説明してあげたら「えっ?」とがっかりしていましたが。。
さて、そんなクールな漢字ですが、当の中国では学習するのが難しいために国家ぐるみで漢字を簡素化する政策を実施してかなりの年数が経つとか。もう高校生や中学生は、本来の文字は勉強しようという気すらなく、全く書けない生徒がほとんどだそうです。中国人の前で普通に漢字を書くと「あなたは良く字を知っていてとてもきれいに書けるわね、とってもいい教育を受けたのね」とむず痒くなるくらいに感心される始末。アメリカでも識字率は100%ではないくらいなのに、中国で識字率を上げようと思ったら簡素化しか方法が無いのも分からないことはないですが、しかし(ひ)はこの漢字の簡素化には大反対です。その文字がそもそも持っている本来の意味、そして字の美しさが失われてしまうからです。それに子供達を見ても分かるように、形を一度崩してしまったら2度と元に戻すことは不可能なわけで、これは原爆である場所を不毛の地にするのと同じくらいの文化の損失だと思います。日本にも伝えたほどに古来からの独自の文化の象徴である文字を自ら崩すのは、本当にもったいないお話です。(ひ)の名前も簡素文字で書いてもらったら、それはもはや自分の名前とは思いたくないような文字でした。(ひ)


似てない親子 8.19.2003

子供の顔が両親のどちらに似ているか、というのは定番の話題だが、時々全く似ていない親子を見かける。顔の造作の話ではない。人種が違うのだ。白人の両親に黒人の子供。白人の両親にアジア人の子供。また、兄弟は白人なのに1人だけ黒人ということも。様々な場合が考えれるが、アメリカでは「養子」という考え方が一般化している。我々の身近にも、韓国人の養子を迎え入れて、とても可愛がっている人がいる。養子を迎え入れるまでには、世話をする団体の面接を何度も受け、また様々な条件をクリアしないといけないそうだ。
旅先では、そんな似てない親子に出会うことが多い。不慣れな我々はそんな家族を見ると一瞬驚くが、どうしても「子供」を欲しかった親と、新しい「親」にめぐり合えた子供が、楽しいひと時を一緒に過ごしているのを見ると「本当によかったね。幸せにネ。」という気持ちになる。(ま)


<特集> お達者クラブ潜入レポート 5.30.2003

フロアを埋め尽くしているのは、見渡す限りの老人達だった。杖をついている者はもちろん、電動車椅子あり、酸素ボンベの携帯者あり、(ひ)(ま)以外は全て白人のシニア達。ここはどこかと言うと「グレン・ミラー・オーケストラ」のコンサートなのだ!会場のラーレイBTIセンターは満員で、熱気に満ちていた。

「グレン・ミラー・オーケストラ」とは、トロンボーン奏者のグレン・ミラー氏が作った管楽器を中心としたビッグ・バンドで、1930-40年代に人気を博した。「茶色の小瓶」「イン・ザ・ムード」などの名曲や、映画「グレン・ミラー物語」は日本でもなじみが深い。(ひ)(ま)のそれぞれの実家にも、レコードがあったりする。もちろん本人はすでに亡くなっている(1944年)のだが、その音楽は世界中で愛され、そのスタイルを受けついだバンドが今でも世界中を興行している。

話を元に戻す。我々の席は、何と最前列のど真ん中!((ひ)がインターネットで発売3日目に取ったのにこの席!シニアたちはマウスのクリックに時間がかかったのだろうか?)と、現れたるは世界でもっとも有名なスゥィング・ジャズのビッグ・バンド!会場も湧き立つ!!日本の演歌のコンサートもこんなノリなのかな。

指揮者のラリー・オブライエン氏も立派なシニアで、派手な星条旗のネクタイを締めて登場。その存在感たるや、日本で言うところの北島三郎並。軽いジョークで場を沸かした後は、自分もトロンボーンを熱演。約20名のオーケストラ・メンバーは思ったより若く、そして驚くほど平凡な演奏技術。ソロをするときは、前に出てお辞儀をして演奏を始め、終わると再びお辞儀をして席に戻る。軍隊っぽいぞ。 途中、ボーカルとして2人のジャズシンガーが登場。妙齢の女性は藤あや子、若い男性は氷川きよしといったところか。二人とも歌が上手い。

昔懐かしい曲を次々と演奏し、会場のシニアももうノリノリ。(ま)の隣のおじいさんは自分でも指揮をしつつ口笛を吹いて演奏に参加していた。「タバコが1箱18セント(22円)だった頃を覚えているかい?」とラリーが言うと、「イエーッ!」と会場が盛り上る。「ガソリンが1ガロン17セント(20円)だった頃を覚えているかい?」「イエーッ!」と、なんだかもう訳が分かんない異常な盛り上がり。興奮のし過ぎで3人くらい心臓麻痺を起こすんじゃないかと本気で心配。会場は完全に1940年代にタイムスリップしていた。

途中ベテランズ(退役軍人)の為に1曲捧げ、最後は全員起立して”America the beautiful"(準国歌みたいなもの)を大合唱してコンサートは終わった。「この素晴らしい音楽を次世代に残したい!」とラリーが言っていたが、本当に陽気で美しい、アメリカの一時代を代表する音楽だと実感。あえて言うなら、本気で若者の心を掴むためにはコンサートの構成を考え直して、演奏レベルを上げたほうがいいかもしれません。ま、古き良き昔を懐かしむ白人シニアの満足のためには十分過ぎるほどの珠玉の時間でした。色んな意味で楽しませてもらいました、ホントに。(ま)


くにとか郷土とか 5.29.2003

インターネットの新聞で教育基本法改正にまつわるこの話題を読んで、議論に違和感を感じた私はすでにアメリカナイズされているのでしょう。国民が国を愛するというのは、日本人にとって口にするのも変な感じですが、他の国の人々にとっては非常に当り前のことです。日本人にとって「愛国心」という言葉はきっと戦時中を思い出すのでしょう。戦後生まれの多くも、多分にこのアイディアが刷り込まれています。私もテロ以降のアメリカで"Patriotic"(愛国的)という言葉の連発を聞くたびに、何だか怖い思いをしました。しかし、アメリカのみならず様々な国の人が、自分の国に誇りを持ち、自国を愛し、同時に自国に対して意見を持ち、それを口にするのも非常に普通のことだと知った今、どうして日本人は自国を愛するという発想が希薄なのだろう、というのが今の私の疑問です。言葉尻にこだわるのもいいですが、その辺の議論もお忘れなく、政治家の皆様。(ま)


テレビで見えるもの 4.2003

1月に一時帰国した際、「ニュース・ステーション」で北朝鮮のテレビドラマ(アメリカを完全に悪者扱い)を面白おかしく紹介していたのを見て違和感を感じた。というのも、その国の政治姿勢が映像に反映されているのは、別に特別なことではないから。アメリカのテレビで見る(ちょっと前の)イラクはいつも笑顔で銃を撃つフセインだし(悪魔だ!)、北朝鮮はいつも一糸乱れぬ軍隊パレードだ(狂気だ!)。戦争中は番組の合間に星条旗がはためいて" Support our troops. "(軍隊を支持しましょう)だし(美しい!)、戦後はアメリカの手助けで新しい暮らしを始めるイラクの人々の笑顔が映る(正義だ!)。「世論はつくられる」というのは本当だ。
テレビでは、インパクトのない映像では視聴者を惹きつけないし、別に悪いことだとは思わないけど、映像が常に公平で全てを語っているのではないことぐらいは知っておきたい。ちなみに、2年前の日本の皇室女児誕生のニュースで流れた「日本」の映像は、十二単の衣装を着た雅子さんと、お祝いの提灯行列だけだった。わたしの国は、今だ平安時代か?!(ま)


解雇の理由 4.22.2003

(ひ)の勤める研究所の受付に、トヨコさんという日系のおばさまがいらっしゃいました。親しみのある笑顔は我々日本人にとってばかりでなく、受付嬢(?)という職業柄もあってか研究所に勤める人全員から慕われる一番の人気者でした。ある UCLA から移ってきたおじさんが言った「ゲストが訪ねてきて最初に見るのが彼女の笑顔なんだから、この研究所はとても幸運だ」という言葉が、彼女の人柄を端的に表しているでしょう。ちなみに片言の日本語で話しかけてはきますが結局お互い英語で話した方がちゃんと会話ができる、というくらいの日本語でした。
さて、そのトヨコおばさまの姿がある日から見えなくなりました。聞けばいつの間にか受付嬢を退職され、しかもその理由が、受付に義務付けられた銃所持の試験に落ちたので解雇されたというから驚きでした。このことが明らかになったときには研究所全体に与えたショックの大きさを物語るように「トヨコさん解雇断固反対運動」のような動きが起こったほどでした。異例とも言えるディレクターによる直々の説明があり、それによると「かの同時多発テロ事件を受けて、全ての政府機関での受付業務に携わる人に銃の所持が義務付けられた。彼女は一度試験を受けたが失敗し、もともと雇用形態が契約だったこともあって、合格の見込みのない試験をもう一度受けるくらいならばと彼女は自分から退職を選んだ」ということでした。なんとまあ。
そんなトヨコさんですが、研究所のクリスマス・パーティと合わせて行われた表彰式に招かれていて、特別表彰みたいなものをもらっていました。表彰式全体を通じて、彼女に送られた拍手が一番大きく、また心がこもっていたように感じられたのが印象的でした。しかしまあ、アメリカにいるといろいろなことが起こるものです。(ひ)


カミカゼと21世紀のテロリスト 11.2002

(少し長いので、別ページに記載。悪夢のような一日だった。。。)


大きな誤解 3.2003

今回のイラク戦争が始まるずっと前の話。ほぼ2年ぶりに話す日本の友人が「日本ではアメリカ、評判悪いよ。」と私に言いました。一瞬意味がわからなかったのですが、理解した瞬間「これはマズイ。」と思いました。つまり「アメリカに住んでいる→アメリカ生活を結構楽しんでいる→アメリカが好きだ→アメリカのやることは何でも賛成だ」という図式になっているらしい。これは大変な誤解です。
住んでいるのは事実。生活を楽しんでいる?そうなるように努力しています。アメリカが好きか?嫌いなところも多々あります。アメリカのやることには何でも賛成?まさか!!
例えば、アメリカに住んで一番辛いのは、特にテロ以降の愛国心あふれる好戦的な雰囲気です。今回も日本では「おろかな戦争」とマスコミも言っているとか。いいなあ、そんなテレビが見たいし、新聞が読みたいものです。(こちらの状況は想像してもらえますね。)ま、そんな訳で、上記のような誤解がないようにこのコーナーも作っています。私のバッド・メモリーも公開していきますので、お楽しみに。(ま)


理解を超えた事実 3.20.2003

やっぱり、とう感じでイラクに対する攻撃が始まりましたね。
2001年、目の前で本物の「戦争」(アフガン空爆)が始まった時、(ま)は理解を超えた状況を目の当たりにして強いショックを受けました。だって日本は「戦争を放棄した国」(でよかったですっけ?)ですから、戦争が起こる事はあり得ない訳です。しかし別の国では違います。外交手段のひとつとして「戦争」は確実に存在します。条件が揃えば、翌日からでも戦争は始まります。それを支持する人も大勢います。アメリカもそんな国のひとつです。それを理解できて初めて、事実を冷静に受け入れられるようになりました。
今回は、戦争開始には慣れたけれど、新たなショックを受けています。例えば、8時過ぎのCNNニュースでメインキャスターが「イラクの市民も、兵士さえも、アメリカ軍を喜んで迎え入れると思いますが、怒っている市民はいますか?」と特派員に真顔で聞くのを見たとき。(特派員の回答は「いますよ、彼らは国に対して誇りをもっていますから。」だった。)当日発売の「TIME」誌で、読者の「ブッシュが他の国(の指導者)と違うのは、時には平和的解決が不可能だと分かるほどインテリジェントなところだ。」という手紙を読んだとき。彼らのこの自信は一体どこからくるのか?私の理解を超えています。他国の理解というのは本当に難しいものですし、「理解できない!」と片付けるのは簡単です。でも、その「他国」に住んでいる以上、その国民の思考回路との折り合いのつけ方を知らないと煮詰まってしまいますので、理解するよう努力するつもりです。(ま)


お米の水加減 3.2003

料理教室で、トルコ人がトルコ料理の作り方を披露してくれた。米を鍋で炊くのを見て、ある中国人が騒ぎ出した。「こんな少ない水でコメが炊ける訳がない。そんな短い時間でコメが炊ける訳がない。」トルコ人は困り顔。食事の後、今度は文句を言い出した。「今日のコメは水分が足りなくてパサパサ、芯が残ってちっとも美味しくなかった。」
「イヤなら食べるな!」と言いたかった(ま)だが、もっと英語が上手でかつオトナな人が「コメを少ない水分でパラリと炊いて食べる国もあれば、水分を含ませてもちっとして食べるのが好みの国もあるのよ。」と諭してその場は収まった。

他人のふり見て我ふりなおせ、である。アメリカ生活にも随分慣れた頃、渡米したばかりの日本人からよく聞いて違和感を覚えた言葉がある。「こんなこと、日本じゃ考えられないよねー。」間違いなく(ひ)も(ま)も渡米直後に何度となく使った言葉であろう。生活の全てにおいて今までの常識が通用しないのは大きなストレスである。嘆いても怒っても、しかし状況は変わらない。「信じられない!」と捨てセリフを吐きながら、慣れてゆく。「その国にはその国のやり方があるのだ。」と思い、深呼吸をひとつして、その国のルールに身を任せるようになる。異なるものを受容する、そんなところから国際理解は始まるのかもしれない。水分の少ないコメも、また違った食感で美味しいものである。(ま)


正真正銘のピースサイン 3.2.2003

チャペルヒルの大通りを散歩していると向こうからピースウォークがやってきた。" Peace is Patriotic"(平和は愛国的)という横断幕を先頭に、1000人以上の老若男女が、3歳児も着ぐるみも、みんな楽しそうに歩いている。パトカーものんびり誘導している。(注釈:横断幕について。愛国者であるなら戦争支持をという風潮に対し、平和解決も同様に愛国的な考え方であるという、アフガニスタン空爆の頃から時々見られるフレーズ。見るたびホッとします。)

(ま)は「戦争反対」に賛成なので拍手をしていると、列の人々がにこやかにVサインを返してきた。これはもしかして、正真正銘の「ピースサイン Peace Sign(平和のサイン)」ではないか!日本人がついカメラの前でやってしまうあれ、本家本元、正真正銘のピースサインを見たのは初めてだ!!

歩行者が途中から列に加わったり、逆に自分の家が近くなると列を抜けてプラカードをゴミ箱に捨てて帰途につく人がいたり、なんとも自由で開放的な「反戦デモ」(←日本語にすると重々しい)。中には、通り過ぎる行列に向かって「ブッシュ大統領支持」のプラカードを持って立っている人もいて、その両者の間に流れる雰囲気が「主張もする、相手の意見も尊重する」言論の自由を象徴しているようでしているようで、ちょっと感動した。ウォークからの帰り道らしい5歳児は、プラカードを持ったまま「ブッチュとチェイニーが...」と7歳児に話し掛けていた。

もともとチャペルヒルという土地自体「ノースカロライナに動物園はいらない。欲しければチャペルヒルに柵を作れ。」と共和党議員に言わしめたリベラルな街である。それにしても今回ばかりは、戦争回避を求める動きが市民レベルまで根付いているようです。どうかこのピースサインがホワイトハウスまで届きますように。(ま)


移植ミスによる死亡 2.27.2003

近所のDUKE大学医学部で起きた、心肺同時移植の血液型間違いという単純なミスの結果、移植のためにメキシコから移民してきた17歳の女の子が亡くなった。悲劇である。 私は彼女の両親のことを思う。記者会見でも英語をほとんど話さなかった2人が、娘のために移住を決意して、異国で移植のチャンスを3年間待ちながら暮らしていた結果が これではあまりに辛い。すでに話題になっている、今後始まる巨大病院を相手にした補償問題もどんなに精神的負担であろう。どうか、このご両親が良心的な人々に支えられますように。彼女のご冥福とともに、祈らずにはいられない。(ま)


女子アナの留学先 12.2002

某女子アナが結婚退社し、アメリカに「海外留学」するという。留学先を見てビックリ。「某コミュニティーカレッジ」とある。(ま)も含めてお世話になっているこの「コミュニティーカレッジ」、「カレッジ」とは言っても、いわゆる4年生大学とは随分イメージが異なる。地域の高等教育を担うことを目的とした、短大と専門学校と職業訓練学校を混ぜたようなものだ。どんな地方にもあり、何より選抜目的の入学試験さえない。これを堂々と「海外留学」と言われた日にゃあ、あんた、努力して頑張ってTOEFL受けて大学・大学院に正式入学して卒業しようと努力している「海外留学」者が報われないというものです。

最近日本で高名な「青年実業家」は、海外での学歴「詐称」でバッシングを受けているらしい。サッチーもそうだったけど、海外での学歴って日本人にとってはなんとなく「すごく」見えてしまう。一方、海外の学校は門戸が広く多くの人をいろんな形で受け入れるので、形にこだわらなければメンバーになるのはわりと簡単だ。もちろん、学生本人にとっては「何を学びたいか」が一番大切だけど、一方「履歴書」を読むのが仕事の人は、表面的なイメージに惑わされずしっかりと彼らの実力を理解して欲しい。就職活動を頑張るたくさんの海外留学者のために、一言、でした。(ま)


笑顔の理由 12.2001

日本人は無表情だとか、アメリカ人は陽気だとか言うけど、確かに見知らぬ人同士でもニコッと笑顔を交わすのは気持ちがいいものだ。しかーし、笑顔を交わした1秒後、唇の端がキュッと下がり元の無表情な顔に戻るのを見た時はちょっと怖い。
このことを英語のクラスで話すと、同様の感想を持つ人はアジア人に多かった。つまり、私たちのスマイルは本当に嬉しかったり楽しかった時に自然と出るものだが、アメリカ人にとってのスマイルは「挨拶」なのだ。(我々の「会釈」の感覚。)「急にスマイルが消えるのは怖い。」という私に、アメリカ人の先生が言った。「ずっとスマイルが続くほうがよっぽど怖いわ。」確かにそれも言える。(ま)


赤いポピー 11.2001

イギリスを旅行したとき、多くの人が胸に小さなポピーの造花をしていることに気づいた。テレビのアナウンサーもしているし、駅前では募金をした人に配っている。赤い羽根募金みたいなものかと思ったら、戦争記念週間(おそらくは戦没兵士の慰霊と退役軍人への感謝)のシンボルだった。世界に発信されるニュース番組のキャスターが、このイギリス軍のみを称えるシンボルを着用するのはどうかと議論になっている、と新聞にあった。
アメリカでも、兵士や軍隊に対する感謝の気持ちは非常に強い。「ベテランズ・デー」(退役軍人を称える祝日)、「メモリアル・デー」(戦没兵士を称える祝日)まである。日本人の感覚としては軍国主義的でちょっと不気味、日本人は軍隊・兵士に対してこんな感謝の気持ちを持つことなどないよな、と考えていてハッとした。

「戦争は悪」と刷り込まれている我々は、戦争に関するものすべてに嫌悪感を持つ節がある。でも、国家としてはの行為はともかく、少なくとも国のためと信じて戦い命まで落とした兵士が、誰にも感謝されない国って実はとても残酷だ。結局この意識の差は、戦争の「勝ち負け」に寄るところが多いのではないか。勝てば「英雄」と感謝され、負ければ「過去の過ち」となる。日本って、戦争に負けた国なんだなぁと、改めて思った。(最近は、この事実を知らない若者も多いらしいが。)そして勝った国は、再び英雄を夢見て戦う。結局、戦争は勝者の為にある。
ちなみにポピーは、世界第一次大戦で北フランスの戦場で咲いていた花であり、戦争の思い出のシンボルになったという。「悲しみ」だけを表現するには、赤すぎる。(ま)


違法な日常 9.2001

某アジアの国出身の男性が奥さんを叩いているところを警察に逮捕された。その結果困ったのは、国から出てきたばかりの奥さん。英語も喋れず、お金も持たされてなく、車も運転できず、食べるものも無い家でひとり困っているという。あまりの悲惨な話に(ま)は居ても立ってもいられず、食べ物を買って、彼女を保護しているメリッサの家に行った。幸か不幸か男性は釈放され問題は一応解決、しかし「アイツはまたやるに違いない。」とメリッサは激怒していた。彼らの国での日常が、アメリカの法に触れたわけだ。でも同じアジア人として、彼らの日常も、彼に頼るしかないその女性の状況も、悲しかったなぁ。(ま)


インパクト大 8.6.2001

英語クラスの教室移動中に、クラスメイト数人が大通りフランクリン・ストリートの郵便局前でたむろしている。何事かと覗き込めば、軍事費増加反対の署名活動運動があっていた。主催者らしき女性が国際色豊かな私達に興味を持って話し掛ける。今日の広島の原爆忌に合わせて米国数か所で同時に署名活動を行っているらしい。かかげた横断幕を見ると「ノーモア・ヒロシマ」などと書いてある。これはちょっと面白い。出身国を聞かれたので「日本。そしてね、私長崎出身なのよ。」と言ってみた。(注:本当です。)おばちゃんの驚きようといったら!「オーマイゴッド!オーマイゴッド!!」を繰り返し(余談ながら、人が心の底から驚いてこの言葉を口にするのを聞くのは初めてだった。)どこかに行ってしまった。きっと長崎はまだ焼け野原かなんかと思っているんだろうなー、などと思っていると、取材に来ていたテレビ局のクルーを連れておばちゃんが私の所に戻ってきた。「信じられる?この子はナガサキから来たんですって。」そして私に言うのだ。「テレビに向かって、みんなに今のナガサキの状況を伝えて頂戴、プリーズ。」教えてあげたいのはやまやまだったが、英語力がない私は「次のクラスがあるので。」と逃げるようにその場を去った。
どうやら私の出身地は「アフガニスタンのカンダハルから来ました。」というのと同じくらいインパクトがあるらしい。今でも時々この日のことを考える。今ならもっとましな返事が出来るだろう。「このチャペルヒルと同じように美しい街です。」と。テロ以降、軍事費増加反対の声など聞かないけれど。(ま)




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