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![]() 3行アメリカ People 毎日出会う、インターナショナルな人々! ![]() |
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酔っ払いクリスティーン 5.2.2004ニューオリンズでのこと。狭いレストランで、(ま)の座っていた椅子の背が、隣の人のそれにぶつかった。慌てて謝る(ま)を待っていたかのように、「いいの、いいのよ〜。」と、いきなりこちらのテーブルにやってきた30台白人女性。「どこから来たの?」「日本。」「日本は分かっているわよー。ジャパンのどこから?」「九州。」「……
。私ね、大阪に出張したことがあるの。その時、17歳のマイコと会ったのよ。お茶会にも参加できて、とってもクールだったわぁ。」と親日ぶりを披露する彼女。まあ、こんな話を聞く機会はわりとあるのだが、語りながらの彼女の態度がすごいのだ。(ま)の目をじっと見つめて、手を握り、話の合間に手の甲にチュッチュとキスまでするのだ。同じテーブルにいる(ひ)も当然会話に加わっているのだが、こちらのほうには、まるで無関心。話によると、彼女は大阪のパチンコ店の店内デザインを依頼され、出張した際に、京都でマイコ(舞妓)と遊んだらしい。熱く語る彼女がもともと座っていたテーブルを見ると、両親とおぼしき老夫婦が「また始まった…。」という呆れ顔。一通り話しをして、彼女は自分の席に戻った。すると、店内にいた客数人から「アンタも大変だったわね。」と(ま)に目配せで同情が寄せられた。「うーむ、これがレズビアンというものかぁ。」 初めての経験に、深く感じ入る(ひ)と(ま)。 レストエリアのエンジェル 4.18.2004「今日は、フロリダ入りした。ハイウェイのレストアリア(サービスエリア)では、無料のオレンジジュースのサービスまである。さすがフロリダだ。 さて、リフレッシュもして、気分よく出発しようとしたところ、車のエンジンがかからない。近くに駐車している奴らにバッテリーをつなぐコードを持っていないか聞いても、誰一人手を貸してくれようとしない。俺は焦ったね。カミさんは暑いとやらで、車の中に入ったきり出てきやしない。そこへ、近くに駐車していた車にアジア人の女が戻ってきた。ええい、ダメもとだ、聞いてみよう。すると、やはり俺の南部訛りはほとんど理解出来なかったらしく、何度も聞き返す。ええい、今日はツイていないぜ。そのうち、だんならしきアジア人も戻ってきて、二人で何やら相談している。トランクからコードを出しているようだ。『悪いが、お前らの車を前に持ってきて、コードでバッテリーを充電してくれないか?』といいかけた途中で、俺は目を見張ったね。だって、彼らが持っているのはなんと『携帯用充電式バッテリー』だったのだから!! フロリダ女の意地 4.18.2004真っ白な、粉砂糖のような砂浜、どこまでも続く薄いブルーの海。「ギャルの質もノースカロライナと違う。」と、ビキニ美女を見ながら(ひ)。「うん、ビア樽(体形)もいないし。」と、長髪のサーファー達を見ながら(ま)。ここはフロリダはメキシコ湾沿いのデスティン・ビーチ。ここでふと、フロリダ出身の、英語クラスの先生のことを思い出した。 ブライアン・カワサキくん 4.20.2004彼の名前はブライアン・カワサキくん、カリフォルニア州ロサンゼルス出身。名前からも分かるが彼は日系のアメリカ人だ。初めて会話した時に「よんせいでーす!」と元気に言っていたのを鮮明に覚えている。後に聞いたところによると、父方から見たら日系4世、母方から見たら日系3世ということらしい。 アキラ対グロリア 2.18.2004スパニッシュのクラスに、大変困りものの女性がいる。その名はアキラ。インド系で綴りは不明。授業の流れを一切無視して、思いついたときに思いついたことを講師に質問するのだ。突然「ねえ、お腹空いたって何ていうの?」ってな調子。より困ったことに、勉強熱心で「過去形は?未来系は?」と先へ先へと進むのだ。 副業を持つ人々 1.26.2004友人Hがチャペルヒルにアンティークショップをオープンしたというので、遊びに行った。古いお屋敷の半地下を改造して、明るくポップな、彼らしいセンスに溢れたお店だった。この友人(55歳、男性)、もとはと言えば絵描きさん。生活の為に学校で美術の先生をしており、ボランティアをしていた(ま)の上司だったのだ。「で、最近絵は描いてるの?」と聞くと、「うーん、このビジネスが忙しいからあんまり。」 そ、そんなものなのか! 芸術家は芸術一筋、という勝手なイメージは吹っ飛んでしまった。 友人と散歩 1.15.2004
我が家のあるアパートメント・コンプレックスの敷地に入った途端、同じアパートメントに住む、友人のルチアが目に入った。声を掛けると、散歩に行くけど一緒にくる?と言う。早速車を駐車して、同行することに。スロバキア出身の彼女は「英語を勉強する」目的で来ているはずだが、話を聞く限り、地域の英語クラスに時々参加する以外は、結局アルバイトしかしていない。ま、それも「英語の勉強」なんだろう。不法滞在のような気もするが、ヨーロッパの若者が学生時代に、働きながら世界を放浪するのはよく聞く話なので、滞在ビザも優遇措置があるんだろうな、多分。ま、そんな興味もあって、歩きながら色んなことを聞いてみた。 受け入れる人々 11.28.2003サンクスギビング・デーは日本のお正月みたいなもので、家族揃って特別な料理を囲むのが慣わしだ。でも、そこに赤の他人も受け入れる人々がいる。 ミセス・キム 11.20.2003いつもご夫婦で、週に1回の英語クラスにいらっしゃる韓国人のキム夫妻(ご主人は77歳)。普段はクラスも違うので顔を合わせる程度だが、ある日キム夫人が(ま)に話し掛けてきた。それも日本語で。当然過去の日本語教育の結果な訳で、毎回のことながら多少暗い気持ちになる。しかし、英語で「何歳ですか?」と聞かれても分からないキムさんの、日本語はとてもなめらかだ。「英語はよく分からないので、疲れます。」と自然な日本語で話す。クラスで日本人は(ま)ひとりだけ。韓国が南北に分かれているのも知らない外国人達に、なぜキムさんが日本語を話すのか、一から歴史を説明するのは億劫なので、出来るだけ英語で話すようにしていた。でも、そうすると会話が成り立たない…。 ジュニチロー 11.13.2003日本では選挙が終わったんですね。(ひ)(ま)家でも記念に海外投票をしようか?などと考えましたが、手続きがあまりにも煩雑だったので、すぐに諦めました(30歳過ぎても政治無関心層。ああ反省)。 ラブ・マリッジ 11.11.2003英語クラスで友達になったインド人のジョティの家に遊びに行った。部屋に飾っている結婚式の写真も、なぜか9歳年上のご主人のものしかない。話は結婚に及び、(ひ)(ま)の出会い(馴初めですね)を説明すると、「じゃあラブ・マリッジ(Love Marriage ”愛ある結婚”)なのね」。インドでは結婚相手は両親が決める場合(”アレンジ・マリッジ”)が多いらしく、ジョディもそのパターン。女性の両親が候補者を決め、その男性が花嫁候補を見てOKと言ったら結婚は決定(女性の拒否権は無し)。日本にもアレンジ・マリッジはあるのか?と聞くので、「お見合い」の説明をして、でも女性も断ることが出来るよ、と言うと不思議そうな顔をしていた。「結婚の時は花婿さんがヤギかなんか持ってくるの?」という私の質問にも「いまどきヤギはないわよ。お金だけ。ちなみにお金を渡すのは女性側よ。」とのこと。誰かの常識は誰かの非常識だと実感。世の中知らないことはまだまだ多い。(ま) チャンス到来 9.13.2003買い物から帰ってくると、アパート2階の廊下から我々を見下ろす女性が一人。声を掛けるでもなく、やがて2階のとあるドアの前にオレンジ色の小さな紙をはさんで消えていった。「怖いね、色恋沙汰かなぁ。」などと話しつつ1時間後、我々のドアにも同じオレンジ色の紙片が。内容は「ハイ!4号室に住むブライアンとドナよ。今夜、私達の部屋でパーティーを開くので遊びにきてね!午後10時からスタートです。騒音が気になるようなら連絡して。じゃ、今夜会えるのを楽しみにしています。一緒に楽しみましょう!」つまり、ご近所からのパーティーのお誘いだった。2年以上住んで、こんなことは初めてだ。家でパーティーを主催するといっても、簡単な飲み物とスナックを用意しておけば、あとは各自が何か持ち寄るというのが若者らしいスタイルなので、誘われたほうも気軽に行けばいいのだが、今回は他に予定があったので一応ご招待に対するお礼の手紙だけ書いて失礼した。それにしてもドナちゃん、挙動不審だったなー。 よく働き、よく遊べ 8.17.2003アメリカには「ワーキングホリデー」はない(と思う)が、似たようなシステムで働く人に出会うことはある。ある会社が、安い労働力を欲しがっている雇用側と、アメリカ生活を経験したい異国の若者をマッチングさせる。多分、手数料やマージンを取るのだろう。雇用者は安い賃金で若者を雇い、若者は自由時間でアメリカ生活を満喫する。人気のある国だから成り立つ仕組みだろうが、友人のタイ人は、1年契約の住み込みの子守りになり、休みは週に1日、お給料は週に100ドルという条件で、最後はヘトヘトになって帰国していった。(楽しいことも多かったとは思うが。)同様に、国立公園内のホテルや施設で働く多くの異国の若者を見る。これも「観光地で働いて、オフは大自然を満喫!」という類のものだろう。彼らもハードワークなのかしら?去年グランドキャニオンのホテルで昼間にチェックインの手続きをしてくれたロシア人の若者は、深夜には隣接するスーパーでレジを打っていた。結構長時間労働なのかも。今年イエローストーンのホテルの部屋の掃除を担当してくれていた東欧系の若者は、ある月曜日に来なかった。他人の休日を、こんなに嬉しく思ったことはない。(ま) 看板娘 8.5.2003レストランに入ると、入り口に係員(多くの場合は女性)が立っており、人数を聞かれ席に案内される。メニューを渡され「食事を楽しんでね。」と微笑まれるので、ここで「じゃあ、とりあえずビール。」などと言いたくなるが、それは出来ない。何と、この係員は、席に案内して微笑むまでが仕事なのだ。ふーむ、まさに看板娘。そして多くの場合、この看板娘は他の従業員より一枚美人が担当している場合が多い。よく見ると、服装も他の従業員のおそろいTシャツなどとは異なり、胸元ひらいたシャツに、スリット入りのロングスカートだったりする。 <NY編>バンちゃん 7.18.20037月の「今月の1枚」は、映画俳優のアントニオ・バンデラスです。出演映画は「マスク・オブ・ゾロ」「スパイキッズ」などなど多数。日本でも以前はスバル「フォレスター」のCMに出演していました(現在は不明)。 ファースト・レディあれこれ 6.13.2003言わずと知れた「大統領夫人」のことです。最近とみにメディアへの露出度が高いのが、前大統領夫人のヒラリー・クリントン氏。今週の「TIME」誌の表紙にも登場。自伝的本を出版して、そのPRも兼ねたインタビューに答えているのですが、「ご主人とモニカ・ルインスキーさんの不倫が暴露された時、どう思われましたか?」なーんて言う質問にも平気で答える度胸はさすが現ニューヨーク州議員。そのモニカちゃんは激太りも克服し、現在はテレビの司会などをやっています(でもやっぱり素人)。 ニュー・エイジ 4.2003最近、カリフォルニアから越してきたばかりの中国人のリンがお茶を飲みに来た。上海出身で、1年前にアメリカに来ている。話を聞くと、ショッピングは山ほどするし、旅行はするし、他のチャイニーズとはあまりつるまない。「チャ、チャイニーズっぽくないって、言われない?」と恐る恐る聞くと、「そうよ、私は他のチャイニーズみたいにお金を貯めるのが趣味ではないの!」と言い切った。(ひ)と(ま)はあまりのかっこよさに、唸ってしまった。 不思議の国のベルジアン 4.22.2003ベルギー人バートによると、年の頃は 40 歳半ばほどに見える彼が若かった頃には、ベルギーでは2年間兵役に就く義務があったそうです。通常は高校卒業後、大学に進学すると卒業まで待ってもらえたそうですが、大学院まで進んだ彼の場合、兵役に行ったのは 26 歳になった時。当然ながらダントツの最年長で「もう訓練はしなくていいから」と2年間ひたすら基地でバーテンダーをしていたそうです。どうりでくだらん笑い話からお堅い話まで話題豊富でおしゃべり好きだったわけだ。しかし博士号所持者にバーテンダーをさせるとはなんと贅沢な国ベルギー。 エンジェルの愉しみ 4.6.2003ザビとサンのベルギー人夫妻が我が家にランチにやってきた。ふたりしてハンパではない大荷物。一人息子のジャスティン君(2才半)の、おむつやランチ、多数の人形やミニカー、ぬいぐるみはじめ昼寝用の折りたたみベッドまで。当の本人は昼寝どころかランチもそこそこに、我が家のいたるところに顔を突っ込んでは遊んでいる。 ハイジの日 3.27.2003今日は、ハンガリー出身のハイジ嬢の"Name Day"(名前の日?)だという。みんなでハンガリー語でお祝いを言ったものの、実は「ネーム・デー」が何たるかを知らなかった私は、おそるおそる意味を聞いてみた。聞かれたほうも随分驚いていたが、解説によると「365日全て、誰かしらキリスト教の「聖人」の日であり、自分の名前と同じ(もしくは関係の深い)聖人の日がその人の「ネーム・デー」となる」らしい。手帳のカレンダーを見せてもらうと、そこには毎日聖人の名前が書いてある。カトリックの慣わしだろうか、恥ずかしながら、そんな記念日があるとは今まで全く知らなかった。 軍人の家族 3.21.2003沖縄の基地に弟がいるアメリカ人女性に会ったので「弟さん、忙しくなったんじゃない?」と聞くと、堰を切ったように話し始めた。イラク攻撃数日前、電話で「日本を離れることになる。どこに行くかは言えない。」と聞き非常に心配していたが、その後日本での任務を続けることになったそうで、とても安心したとのこと。そして「尋ねてくれてくれてありがとう。本当にありがとう。」と妙に感謝された。正直言って沖縄の基地と聞いていいイメージは持っていないし、話の流れで聞いただけだったのだが、心配する軍人の家族にとっては心に触れる温かい一言になったようだ。(特に今回のように世論が微妙な場合は。)何だか複雑な思いだった。(ま) 軍人の家族その2 3.21.2003ちょっと前の話。一緒にバレーボールもしているアリソンおばちゃん(なぜかパンチパーマ)に、月曜日の朝駐車場で会った。歩いている間、何気なく「週末はどうだった?」と聞くと堰を切ったように話し始めた。「主人の甥がコーストガードでアフガニスタンに行っていたけど無事に帰ってきたの。彼は婚約していてフィアンセの彼女もとっても心配してたけど、私たちも安心したわ。無事を祝って家族で集まってパーティをしたのよ」。確かに戦地に赴くのは軍人さんの任務。しかし何故かテレビの中の出来事のような印象を持っていたが、ここアメリカでは身近にこのような状況が転がっているのだ。(ひ) 部屋を飾る人 3.2003(ひ)も(ま)も一人暮らし歴が長く、かつ常に「いつかは引越す」ことを意識しているので、荷物は少ない。アメリカ人の家にいくといわゆるインテリアにお金をかけてゴージャスに過ごしている場合も多々あるが、所詮は我々は短期滞在の身である。ところが、短期滞在の日本人の中にも上手にインテリアを飾る人がいて、テーブルにロウソクひとつ、壁に小さな絵をひとつ、で随分と生活が心地よくなることを教えてもらった。散歩の途中に見つけた落ち葉数枚を額に飾って楽しむ、そんな見習いたいセンスのよさは我々の殺風景な部屋にも少なからず影響を与えてくれた。そのTさんもいよいよ帰国。最初に見て感激したテーブル用のローソクを記念にもらい、両手で抱えて帰る助手席で、不覚にも涙が出た。新しい部屋を、彼女はどんな風に飾るのだろう。(ま)このお菓子、上手ですね 3.11.2003「わたくし、にほんご、おいしくありませーん。あ、うまくありませーん」とはラジオ・パーソナリティ、ブッチ氏がFM福岡の番組中、天気予報でボズ・スギャッグスのマネをするときの定番ネタです。このあと「どうもギブミーごめん、アイディド失礼」(ごめんください、失礼しました)と続きます。 親日カップル 2.2003(ひ)の友人カナダ人のヨアフ君がフィアンセを連れて我が家へ夕食を食べに来た。彼女は富山に1年半滞在した経験もある(日本語はほとんど話さない)。ふたりの出会いは、カナダの寿司バー。隣同志に座ったのが縁で、読書中の「ショーグン」について彼が語り、彼女はお手製の「モチ(アン入り)」をプレゼントして愛を深めていったそうな。どうぞお幸せに!(ま) ブディスト 1.2003お姉さんのお産を手伝いに来ているデニスを車に乗せて銀行に連れて行った。ロースクールを卒業し、今は歴史を勉強している知的な読書家の女性である。「日本に研修に行った友人は、人々が冷たいと言っていました。本当ですか?」など一般的回答が不可能な質問が続くので「よい経験も悪い経験も、人を成長させるものです。」などとと抽象的な答えをしていたら妙に感心され、私がブディスト(仏教徒)だと判明するや大喜びで仏教に関する質問を矢継ぎ早にしだした。 50'S の思ひ出 1.2003ショッピングの途中にカフェで一休みしていたら、隣のおじさんが話し掛けてきた。「わしの若い頃には、ミルクシェーキをひとつ頼むとストローがふたつついてきて、ガールフレンドとふたりで飲んだものじゃ。」どうやらコーヒー(大)サイズを1つ買ってふたりで飲んでいた(ひ)と(ま)を見て昔を思い出したらしい。「映画で見たことある!それって1950年代でしょ。」と(ま)が無邪気に尋ねると(「そりゃ古すぎるよ!」と(ひ)は怯えたらしい。)、ズバリ1957年高校卒業でした。 上には上が 9.2002グランドサークルめぐりではバシバシと写真を撮った。だって、写真に残したい風景ばっかりなんだもん。(詳しくは「旅するふたりの東西南北」参照)我々より2週間早く同じエリアを旅した、S藤家と話もはずむ。「いやぁ、すごかったですよね。(ひ)(ま)家はデジカメで1200枚、普通のカメラではフィルム4本分撮っちゃました。」と興奮気味に話す我々に対し、S藤家は「うちはデジカメ1100枚だったなぁ。」勝った、と思った。続いた言葉はこうだった。「使ったフィルムは40本ですね。」......上には上がいるものだ。(ま) 漢字の威力 8.2002グランドキャニオンに程近いという街でマクドナルドに入った。と、列の前にアジアンの集団が。 観光ガイドらしきおじさんがみんなの注文をまとめて紙に書き、店員に差し出している。 覗き込んだ我々は驚いた。 何と紙には「牛・魚・鶏」という項目にそれぞれ「正」の字で数が書き込んであるではないか! 「これってもしかして、ビーフ・バーガー、フィオレ・フィッシュ、チキン・バーガーのこと?」 しかーし、ここはアメリカ。漢字が通じる訳はなく、レジのおねえちゃんもキョトンとしている。 通じないことに気づき、片言の英語で無事にオーダーを済ませたおじさんは、 あとで聞いたところによると香港からのガイドさんであった。真似したいほどの度胸である。天晴れ!(ま) 無国籍な顔 8.2002(ま)はいろんな国の人に間違えられる。顔なじみの臨月のタイ人と話をしていたら、私に向かって「あなた、すごくタイ(タイ人のこと)に見えるわ。」と言う。
一応お礼のつもりで「あら嬉しいわ。でも私、日本人なの。」と答えると彼女は納得顔で「なるほどね。ハーフ・ジャパニーズなのね。」
この思い込みの激しさはどこからくるのかと思いつつも、父も母もそのまた両親も日本人なのよ、と誤解は解いておいた。 言論の自由 7.2002バーマ(ビルマ)出身のタミヤと一緒の英語クラスで、アウンサン・スーチー女史(ノーベル平和賞も受賞した、バーマの指導者)の話が出た。当然、みんなタミヤに話を聞きたがる。どんなにすごい人か、という話を期待していたのに、意外なことに彼女の口は重い。あとで聞くと「自分の国では人前で彼女の話なんて出来ないわよ。」と言う。
ビートルズ 6.2002ジェインは筑波にある日本企業に務め、会社から派遣され留学している中国人である。日本語も上手だし、今時の日本文化だって詳しい。ポール・マッカートニーの再婚が話題になったとき、彼女が私に小声で訪ねた。「ポール・マッカートニーってダレ?」「ビートルズのメンバーだよ。」と私。「ビートルズってナニ?」「え、イギリス出身の世界的に有名なバンドだよ。」ちょっと驚き説明を続ける私。「ほら、いちばん有名なメンバーはジョン・レノンでさ、、、」「ジョン・レノンってダレ?私知ラナイ。」そうだよね、中国本土で洋楽を聞くなんてありえないことだよね。育ってきた文化の違いは大きい。(ま)
あの頃 6.2002英語クラスの先生ジェーンは、白髪交じりで化粧っ気もない地味な女性である。HAIKU(俳句)をたしなみ、自然志向で食べ物にも気を遣っている。実は見た目よりも若いらしい。
アー・ユー・ジャパニーズ? 6.2002
アパートの前で出会った若い子から声をかけられた。"Are you Japanese?"(あなた日本人?)
"Yes, I am."(そうよ。)
そしてその子はこう言った。"Me, too!"(私もよ!) イズラエルの兵士 5.2002TVで自爆テロのニュースを見るたびに思い出す人がいる。 グラシエラは19歳のときにイズラエルに入植して2人の子どもを育て、 大学教授のご主人の仕事の都合で2年間だけアメリカに滞在した。 今度長男が高校を卒業し、イズラエルに戻って軍隊に入るという。 「徴兵制なの?それとも希望して?」と聞く私に、彼女はちょっと考えて 「彼はとても兵士になりたがっているのよ。」とだけ答えた。 あれから1年以上が経ち、彼は兵士になっただろうか。 私はグラシエラが泣いていないことを祈っている。(ま) 最高の誉め言葉 5.2002アメリカ人家庭に住み込みで「乳母」をしているタイ人のフーン(26歳)とよく一緒に遊ぶ。彼女は片言の日本語を話し(「ワタシ、キレイ。」「ワタシノ、ナマエハ、フーンデス。ドウゾヨロシク。」)谷村新司の「昴」を部分的に歌ったりもする。タイで初の、全て英語で授業が行われる私立大卒業というのだから立派な家柄の出身なのだろう。そんな彼女が繰り返し嬉しそうに話すエピソードがある。地元民と観光客では入り口が異なるタイの寺院で、日本人に間違われて地元民用の入り口から入れてもらえなかった、というものだ。この話のポイントは「日本人に間違われた」というところ。ファッショナブルで小奇麗な日本人観光客に間違われるのは、最高の誉め言葉なのだ。そして、タイでは高嶺の花らしい現代日本のカルチャーに対しても憧れの眼差しを向ける。我が家にやってきていろんなもの( デジカメから文房具に至るまで)を見ては「これカワイイ!日本製?」「そうだよ。」「やっぱりね。ちっちゃくて可愛いもの。」を繰り返す。アメリカに来て知る、アジアにおける日本の影響力である。(ま) 1週間遅れの号外 4.2002皇室の女児誕生はアメリカでもニュースになった。テレビや雑誌では「ハーバード大卒の才女が十二単を着て天皇家に嫁いだ。生まれたのは女の子。さあ、どうなる?」みたいな報道で、我々も日本では考えられない質問もたくさん受けた。(例:「あの子は試験管ベイビーなの?」) エビータ 11.2001英語学校でゲームをした。先生が生徒の背中に有名人の名前を貼り、
生徒同士質問をし合いながら自分が誰かを当ててゆくものだ。
アルゼンチーナのおばさんが自分の背中の人物が「エビータ」と分かったときの
こぼれるような笑顔が忘れられない。本当に嬉しそうだった。 なじみのある名前 10.2001(ひ)のラボに新しくきたベルギー人の名前を、ボスはじめ皆が覚えきれずに困っているという。しかし(ひ)と(ま)は難なく覚えた。日本人だけに超有名な外国人の名前といえばザビエルだ。1549年種子島に上陸したフランシスコ・ザビエル。あのカッパみたな髪型と襟のフリルを思い出さない人はいないだろう。
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