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3行アメリカ People

毎日出会う、インターナショナルな人々!



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酔っ払いクリスティーン 5.2.2004

ニューオリンズでのこと。狭いレストランで、(ま)の座っていた椅子の背が、隣の人のそれにぶつかった。慌てて謝る(ま)を待っていたかのように、「いいの、いいのよ〜。」と、いきなりこちらのテーブルにやってきた30台白人女性。「どこから来たの?」「日本。」「日本は分かっているわよー。ジャパンのどこから?」「九州。」「…… 。私ね、大阪に出張したことがあるの。その時、17歳のマイコと会ったのよ。お茶会にも参加できて、とってもクールだったわぁ。」と親日ぶりを披露する彼女。まあ、こんな話を聞く機会はわりとあるのだが、語りながらの彼女の態度がすごいのだ。(ま)の目をじっと見つめて、手を握り、話の合間に手の甲にチュッチュとキスまでするのだ。同じテーブルにいる(ひ)も当然会話に加わっているのだが、こちらのほうには、まるで無関心。話によると、彼女は大阪のパチンコ店の店内デザインを依頼され、出張した際に、京都でマイコ(舞妓)と遊んだらしい。熱く語る彼女がもともと座っていたテーブルを見ると、両親とおぼしき老夫婦が「また始まった…。」という呆れ顔。一通り話しをして、彼女は自分の席に戻った。すると、店内にいた客数人から「アンタも大変だったわね。」と(ま)に目配せで同情が寄せられた。「うーむ、これがレズビアンというものかぁ。」 初めての経験に、深く感じ入る(ひ)と(ま)。

この怪しい家族3人、全員かなり酔っ払っており、アジア人女性に言い寄る娘、テーブルで眠る父親、トイレに行ったきり帰ってこない母親、と店内でもかなり異色を放っていた。そして、(ひ)(ま)が店を出る時、一応挨拶だけと思って声を掛けると、「わざわざサヨナラを言いに来てくれるなんて・・・アリガトウ(ハート)」と、(ま)には熱い熱い抱擁と手にキッス、(ひ)にはぞんざいな握手が帰ってきた。彼女の名はクリスティーン。もう会うこともないだろうけれど、どうぞお元気で。(ま)


レストエリアのエンジェル 4.18.2004

「今日は、フロリダ入りした。ハイウェイのレストアリア(サービスエリア)では、無料のオレンジジュースのサービスまである。さすがフロリダだ。 さて、リフレッシュもして、気分よく出発しようとしたところ、車のエンジンがかからない。近くに駐車している奴らにバッテリーをつなぐコードを持っていないか聞いても、誰一人手を貸してくれようとしない。俺は焦ったね。カミさんは暑いとやらで、車の中に入ったきり出てきやしない。そこへ、近くに駐車していた車にアジア人の女が戻ってきた。ええい、ダメもとだ、聞いてみよう。すると、やはり俺の南部訛りはほとんど理解出来なかったらしく、何度も聞き返す。ええい、今日はツイていないぜ。そのうち、だんならしきアジア人も戻ってきて、二人で何やら相談している。トランクからコードを出しているようだ。『悪いが、お前らの車を前に持ってきて、コードでバッテリーを充電してくれないか?』といいかけた途中で、俺は目を見張ったね。だって、彼らが持っているのはなんと『携帯用充電式バッテリー』だったのだから!!

俺がボンネットを開けると、ダンナの方が慣れた手つきでコードをつなぎ、物の10秒で、俺のリンカーンのエンジンは復活した。奴らは微笑むと、そよ風のように去っていった。俺は神に感謝したね。カミさんのほうは唖然としたまま、お礼をいうのも忘れていた。しかし、さすがフロリダだ。 暑い日ざしに負けないように、携帯用バッテリーを持ち歩いているとは。今度フロリダを旅するときは、俺も忘れないように持って来るぜ。ありがとよ、レストエリアのエンジェル達。」
……あるおじさんの日記より抜粋。(ま)代筆。  (注:バッテリーを持ち歩く人はあまりいません。でも、あると便利です。)


フロリダ女の意地 4.18.2004

真っ白な、粉砂糖のような砂浜、どこまでも続く薄いブルーの海。「ギャルの質もノースカロライナと違う。」と、ビキニ美女を見ながら(ひ)。「うん、ビア樽(体形)もいないし。」と、長髪のサーファー達を見ながら(ま)。ここはフロリダはメキシコ湾沿いのデスティン・ビーチ。ここでふと、フロリダ出身の、英語クラスの先生のことを思い出した。

ジルはスピーチセラピストとして働く傍ら、英語も教えている(いい先生です)。肌はいつもこんがり小麦色、たまに豹柄のノースリーブからシミだらけの腕をにょっきりと出し、真っ黒な髪を金髪に染めている。ちなみに、アメリカのブロンド女性の半数以上は染色(脱色)した「なんちゃってブロンド」であり、毛の根元のほうは本来の色(ブラウンなど)が見えていることがままある。しかし、ジルのように真っ黒な髪を無理やり金髪にして、それを分け目が5cm以上伸びるまで放っているのも珍しい。まるで、気合の入ってない日本のパンクバンドのメンバーのようだ。かと思えば、ある日突然、「子供に染めてもらったの。」と見目麗しいブロンドに戻っている。しかし、それらの行動も、このビーチを見れば納得出来るような気がする。下着より小さい水着を身に着け、常に視線を感じながらビーチを歩き、出会いも恋も多いんだろうな。結婚してノースカロライナに引っ越し、見た目を気にしない生活に慣れても、時々は若い頃の行動を思い出すのだろう。フロリダ女の意地は、ノースカロライナでも不滅なのだ。(ま)


ブライアン・カワサキくん 4.20.2004

彼の名前はブライアン・カワサキくん、カリフォルニア州ロサンゼルス出身。名前からも分かるが彼は日系のアメリカ人だ。初めて会話した時に「よんせいでーす!」と元気に言っていたのを鮮明に覚えている。後に聞いたところによると、父方から見たら日系4世、母方から見たら日系3世ということらしい。
実は「タケシ」という日本名があるそうだが、普段は全く使っていない。それどころか日本語はほどんど全くできない状態で、真っ昼間に(ひ)に向かって元気に「おはよー!」と話しかけてくる始末だ。これじゃ中国人のX氏の方がよほど良く日本語をしゃべれている。学部学生時代には日本語のクラスを取ったものの、危うく単位を落としそうになって教官から呆れられたという。もう彼くらいの世代になると日系人も完全に同化してしまっている生きた証拠だろう。
そんなブライアンだが、LAから引越してきて1年半ほどの時間が経ち、新鮮なお刺身が恋しくなったらしくトライアングル・エリアではどこで買えるかと(ひ)に聞いてきた。食べ物の好みは世代を越えて長く残るものらしい、という(ひ)(ま)家の仮説もここでまた実証された。(ひ)


アキラ対グロリア 2.18.2004

スパニッシュのクラスに、大変困りものの女性がいる。その名はアキラ。インド系で綴りは不明。授業の流れを一切無視して、思いついたときに思いついたことを講師に質問するのだ。突然「ねえ、お腹空いたって何ていうの?」ってな調子。より困ったことに、勉強熱心で「過去形は?未来系は?」と先へ先へと進むのだ。
さて、スパニッシュのクラスに、大変出来の悪い女性がいる。その名はグロリア。黒人で「私、全然分からない!」が口癖だ。
昨日、ついにグロリアがアキラに噛み付いた。「誰を攻撃する訳じゃないけれど。」と前置きして、「誰かさんはいつも好き勝手に授業と関係の無いことを先生に質問しては、他の皆を混乱させる。」とまくしたて始めると、講師のハリス先生も大したもので、「言いたいことがあったら、アキラのほうを向いて言いなさい。」と一言。で、一通り文句を言わせてから(ちなみに、グロリアが言っていることはまったくの正論だった。)「アキラ、あなたにも反論のチャンスをあげます。言いたいことはありますか?」とアキラに振る。さすがのアキラも個人攻撃されて、「そんなつもりじゃなかった。」と涙ぐむ始末。本気で、自分の行動がクラス内容とズレていることに気づいていなんだろうな〜。でも、あれくらい積極的でないと勝ち残れないのかも。そしてハリス先生は、「個人の能力には差があるし、勉強スタイルも異なる。誰もが質問のチャンスはあるし、私はだれの質問にも答えます。分からないときには、遠慮なく質問してください。」とまとめた。この論争によってつぶれた時間、約30分。(ま)は以前にも経験があるのだけれど、ひとりの生徒の文句にも、先生は結構な時間を使って問題解決に当たる。そんなことより、さっさと授業してよね、と呆れつつ横を見ると、(ひ)は、「使うときがあるかも。」とグロリアの因縁のつけ方をヒアリングしてノートに書き写していた。全てのことから学びは可能なのだ。(ま)


副業を持つ人々 1.26.2004

友人Hがチャペルヒルにアンティークショップをオープンしたというので、遊びに行った。古いお屋敷の半地下を改造して、明るくポップな、彼らしいセンスに溢れたお店だった。この友人(55歳、男性)、もとはと言えば絵描きさん。生活の為に学校で美術の先生をしており、ボランティアをしていた(ま)の上司だったのだ。「で、最近絵は描いてるの?」と聞くと、「うーん、このビジネスが忙しいからあんまり。」 そ、そんなものなのか! 芸術家は芸術一筋、という勝手なイメージは吹っ飛んでしまった。
話変わって、(ひ)(ま)の住むアパートメントの掃除担当のダニーおじさん。(ま)を見るといつも笑顔で「ヘイ!ガール!」と手を振ってくれる(30代に向かって「ガール」もないだろう…)。ある日、立ち話をしていると「昨年末に、俺の発明品を日本のエージェントに紹介したんだ。気に入ってくれるといいんだけどな。」と言う。(ま)はビックリ! 勝手に「50歳過ぎて外働きの仕事も結構ツライだろうな。」と思い込んでいたが、何と発明稼業の片手間に掃除のおじさんをやっていたとは!!

そういえば、(ひ)の研究所には、テクニシャンと牧場経営を兼業している女性(40代)もいたな。現在日本で英語教師をしている友人JJ(20代)も、もうすぐ日本でIT系のビジネスをスタートさせる。このように、割と気軽に副業をやっている話はよく聞く。仕事が生きがいになるのでもなく、仕事は生活の為と割り切って趣味に打ち込むのでもなく、生活(安定)と趣味(チャレンジ)を別々の仕事で充実させて、なおかつ収入にもつなげるライフスタイルは非常に新鮮だ。「趣味の仕事」が充実していると、「生活の仕事」も楽しんで出来るのだろう。「生活の仕事」が保証してくれるから、「趣味の仕事」で思い切ったことが出来るのだろう。真似をしたいとも思うが、問題は「拘束時間が少なく、かつ生活を安定させる程度の収入がある仕事」を探すことくらいか。(ま)


友人と散歩 1.15.2004

我が家のあるアパートメント・コンプレックスの敷地に入った途端、同じアパートメントに住む、友人のルチアが目に入った。声を掛けると、散歩に行くけど一緒にくる?と言う。早速車を駐車して、同行することに。スロバキア出身の彼女は「英語を勉強する」目的で来ているはずだが、話を聞く限り、地域の英語クラスに時々参加する以外は、結局アルバイトしかしていない。ま、それも「英語の勉強」なんだろう。不法滞在のような気もするが、ヨーロッパの若者が学生時代に、働きながら世界を放浪するのはよく聞く話なので、滞在ビザも優遇措置があるんだろうな、多分。ま、そんな興味もあって、歩きながら色んなことを聞いてみた。
母国の大学を休学して半年の滞在予定で来たが、1年に延ばした。国へ帰る前には、一緒に住んでいる同郷の彼氏と一緒に、アメリカ横断の旅をしたい。そのお金を貯めるために、普段は外食などはしない。そもそも、暖かい食事は、毎日は不要。(ヨーグルトなどで済ますらしい。)仕事は、モールでのレストランのウエイトレスの他、最近は、近所のホテルのルームメイキングも始めた。国に戻ったら保母になる勉強をするので、保母のバイトにも興味はあるが、待遇がイマイチなので検討中。クリスマスには、家族(甥姪含む)にプレゼントを送ったし、家族からも荷物が届いた。アメリカでは手に入らない、国のお菓子(ウエハース)が入っていたので、嬉しかった、… etc 。限りなく質素な生活に聞こえるのだが、本人にとっては至って普通。多くの放浪若者にとっても同様だろう。若いうちのこんな経験を、それが将来の就職に有利・不利などというレベルでは無く、ただの人生経験として記憶するのだろう。何だか奥が深いな、などと考えつつ見あげると、もう家のドアの前。じゃあね、と別れた。(ま)


受け入れる人々 11.28.2003

サンクスギビング・デーは日本のお正月みたいなもので、家族揃って特別な料理を囲むのが慣わしだ。でも、そこに赤の他人も受け入れる人々がいる。
友人のスロバキア人Lは、英語を学ぶという名目で渡米し、レストランでウエイトレスのバイトをしている。ある日バイト先で、あるカップルにサーブをした。話をすると、彼らのおばあちゃんもスロバキア出身だったそうだ。1週間後、レストランに葉書が届いた。それは例のカップルからで、何とサンクスギビング・デーのディナーへの招待だったそうだ。部屋に電話も引かずに質素な生活をしている彼女、当然アメリカでのディナーなど初めての経験だそうで、とても喜んでた。
同じ頃、地域のボランティアのWebを見ていたら「サンクスギビング・デーのディナーが必要な315家族は、すべて受け入れ先が見つかりました。ご協力に感謝します。」という記述があった。貧しくて特別な食卓が用意できない一家に対し、自分の家と同じディナーを提供するプログラムに、多くの人が協力したようだ。そういえば、サンクスギビング・デー当日は、(ひ)(ま)家も無事に友人宅に受け入れ(?)てもらい、楽しいひとときを過ごした。別に我々が貧しい訳ではないが、これも身近に家族のいない外国人への暖かい配慮と言えよう。これら「受け入れる人々」の寛大さには、敬意を表したい。(ま)


ミセス・キム 11.20.2003

いつもご夫婦で、週に1回の英語クラスにいらっしゃる韓国人のキム夫妻(ご主人は77歳)。普段はクラスも違うので顔を合わせる程度だが、ある日キム夫人が(ま)に話し掛けてきた。それも日本語で。当然過去の日本語教育の結果な訳で、毎回のことながら多少暗い気持ちになる。しかし、英語で「何歳ですか?」と聞かれても分からないキムさんの、日本語はとてもなめらかだ。「英語はよく分からないので、疲れます。」と自然な日本語で話す。クラスで日本人は(ま)ひとりだけ。韓国が南北に分かれているのも知らない外国人達に、なぜキムさんが日本語を話すのか、一から歴史を説明するのは億劫なので、出来るだけ英語で話すようにしていた。でも、そうすると会話が成り立たない…。
さて、そんなある日。いつも迎えに来るキムさんの息子さんから「少し遅れる」との連絡が先生に入った。先生が教室に残るように説明しても理解できないキム夫妻は、寒風の吹き荒ぶ中、外で息子さんの到着を待っている。「やっぱり、意思疎通をはかるのが難しいわね。」と困っている先生達の会話を聞き、「じゃあ、私が。」とつい手を挙げてしまった(お人好し…)。キム夫妻を無事に教室に連れ帰った(ま)にクラスの皆から「韓国語が出来るの?」と質問集中。「いや、実はミセス・キムが日本語が話せるんだ。」との答えに、クラスの皆は驚愕の表情。結局、その後もいくつか必要事項を通訳をして、キム夫人は「本当によくしていただいてありがとうございます。クリスティーン(先生)にもお礼を伝えてください。」と流暢な日本語で、深々とお辞儀をして去っていった。(ま)


ジュニチロー 11.13.2003

日本では選挙が終わったんですね。(ひ)(ま)家でも記念に海外投票をしようか?などと考えましたが、手続きがあまりにも煩雑だったので、すぐに諦めました(30歳過ぎても政治無関心層。ああ反省)。
さて、2001年初めに渡米した我が家では、訪米時たまーにニュースで画面の端っこに映る以外は、動く小泉首相を見たことがありません。この小泉首相、残念ながらアメリカのメディアで名前を正しく呼ばれることは稀です。原因はそのファーストネーム。「純一郎」をローマ字で表記すると「Junichiro」。長い上に、発音しづらい。おまけにつづり通り読むと、どう頑張っても「ジュニチロー」(nとiを続けて読んでしまう)です。という訳で多くの場合、「ジャパンのプライムミニスター、ジュニチロー・コイズーミ」と紹介されます。何だか、です。素人じゃないんだから、同盟国の首相の名前くらい暗記しろよ、と言いたくなります。しかし最近、そんなアメリカにも小泉さんの名前をパーフェクトに発音できる人がいることに気づきました。何を隠そう、その人はブッシュ大統領。先日何気なく演説を聞いていたら、話が日米関係に及び、「ジュンイチローと私の関係は深い。」と話していました。ホント、おふたりの深い関係がよく分かりました。(ま)


ラブ・マリッジ 11.11.2003

英語クラスで友達になったインド人のジョティの家に遊びに行った。部屋に飾っている結婚式の写真も、なぜか9歳年上のご主人のものしかない。話は結婚に及び、(ひ)(ま)の出会い(馴初めですね)を説明すると、「じゃあラブ・マリッジ(Love Marriage ”愛ある結婚”)なのね」。インドでは結婚相手は両親が決める場合(”アレンジ・マリッジ”)が多いらしく、ジョディもそのパターン。女性の両親が候補者を決め、その男性が花嫁候補を見てOKと言ったら結婚は決定(女性の拒否権は無し)。日本にもアレンジ・マリッジはあるのか?と聞くので、「お見合い」の説明をして、でも女性も断ることが出来るよ、と言うと不思議そうな顔をしていた。「結婚の時は花婿さんがヤギかなんか持ってくるの?」という私の質問にも「いまどきヤギはないわよ。お金だけ。ちなみにお金を渡すのは女性側よ。」とのこと。誰かの常識は誰かの非常識だと実感。世の中知らないことはまだまだ多い。(ま)


チャンス到来 9.13.2003

買い物から帰ってくると、アパート2階の廊下から我々を見下ろす女性が一人。声を掛けるでもなく、やがて2階のとあるドアの前にオレンジ色の小さな紙をはさんで消えていった。「怖いね、色恋沙汰かなぁ。」などと話しつつ1時間後、我々のドアにも同じオレンジ色の紙片が。内容は「ハイ!4号室に住むブライアンとドナよ。今夜、私達の部屋でパーティーを開くので遊びにきてね!午後10時からスタートです。騒音が気になるようなら連絡して。じゃ、今夜会えるのを楽しみにしています。一緒に楽しみましょう!」つまり、ご近所からのパーティーのお誘いだった。2年以上住んで、こんなことは初めてだ。家でパーティーを主催するといっても、簡単な飲み物とスナックを用意しておけば、あとは各自が何か持ち寄るというのが若者らしいスタイルなので、誘われたほうも気軽に行けばいいのだが、今回は他に予定があったので一応ご招待に対するお礼の手紙だけ書いて失礼した。それにしてもドナちゃん、挙動不審だったなー。
さて、アパートのどこかで大きなパーティーがある場合、音楽と人の出入りが深夜まで続くのが特徴でもある。(ひ)(ま)の住むアパートメントでもたまーにあっているが、そこにひとつの法則を発見。それは、大パーティーは必ず隣の部屋が空家の時にあるということ。2ヶ月前に某部屋であっていた、壁がゆれてミラーボールが煌めいていた大パーティーは隣と階下が空室のときだったし、ブライアンとドナの家のお隣も最近引っ越したばかりだ。騒ぐにしても、ご近所への気配りならぬ、ご近所不在の気配りがあるようで。(ま)


よく働き、よく遊べ 8.17.2003

アメリカには「ワーキングホリデー」はない(と思う)が、似たようなシステムで働く人に出会うことはある。ある会社が、安い労働力を欲しがっている雇用側と、アメリカ生活を経験したい異国の若者をマッチングさせる。多分、手数料やマージンを取るのだろう。雇用者は安い賃金で若者を雇い、若者は自由時間でアメリカ生活を満喫する。人気のある国だから成り立つ仕組みだろうが、友人のタイ人は、1年契約の住み込みの子守りになり、休みは週に1日、お給料は週に100ドルという条件で、最後はヘトヘトになって帰国していった。(楽しいことも多かったとは思うが。)同様に、国立公園内のホテルや施設で働く多くの異国の若者を見る。これも「観光地で働いて、オフは大自然を満喫!」という類のものだろう。彼らもハードワークなのかしら?去年グランドキャニオンのホテルで昼間にチェックインの手続きをしてくれたロシア人の若者は、深夜には隣接するスーパーでレジを打っていた。結構長時間労働なのかも。今年イエローストーンのホテルの部屋の掃除を担当してくれていた東欧系の若者は、ある月曜日に来なかった。他人の休日を、こんなに嬉しく思ったことはない。(ま)


看板娘 8.5.2003

レストランに入ると、入り口に係員(多くの場合は女性)が立っており、人数を聞かれ席に案内される。メニューを渡され「食事を楽しんでね。」と微笑まれるので、ここで「じゃあ、とりあえずビール。」などと言いたくなるが、それは出来ない。何と、この係員は、席に案内して微笑むまでが仕事なのだ。ふーむ、まさに看板娘。そして多くの場合、この看板娘は他の従業員より一枚美人が担当している場合が多い。よく見ると、服装も他の従業員のおそろいTシャツなどとは異なり、胸元ひらいたシャツに、スリット入りのロングスカートだったりする。
今までで印象的だったのは、サウスカロライナはチャールストンのシーフードレストランの看板娘。右眼がブルー、左眼がグリーンの、「どうそ、こちらに。」と言われれば、どこまでもついてゆきたくなるようなミステリアスな美女だった。現在日本で公開中の映画「My Big Fat Greek Wedding」でも、レストランで働く主人公の女性が、一目ぼれした男性に「ここでウエイトレスしているの?」と聞かれ、「いいえ、案内係よ。」と訂正するシーンがある。
しかし、男女・人種の平等雇用が保証され、履歴書に写真も貼らない国で、こんなあからさまな容姿による差別があるのだなーと、不思議になることもある。(ま)


<NY編>バンちゃん 7.18.2003

7月の「今月の1枚」は、映画俳優のアントニオ・バンデラスです。出演映画は「マスク・オブ・ゾロ」「スパイキッズ」などなど多数。日本でも以前はスバル「フォレスター」のCMに出演していました(現在は不明)。
以前、増加するアジア人に対応して、アジア人女優の出演が多くなった話はしました。同じことが、いやそれ以上に言えるのがヒスパニック(南アメリカ出身者・植民地時代の名残でスペイン語を話すのでこう呼ばれる)の人口増加で、現在アメリカ合衆国最大のマイノリティー(少数派民族)である彼らを意識するとき、同様にヒスパニックの俳優・女優も必要な訳です。そこで出てくるのが、スペイン語を話せるアントニオ・バンデラス。
とは言っても、彼はヒスパニックではなく、純粋なスペイン人。ヨーロピアンなのです。そもそもスペインで既に人気俳優だったのに、ハリウッド進出に成功、「(歌手の)マドンナを振った男」として有名になるも、ハリウッド女優とW不倫の末結婚、今や映画のプロデュースや監督まで努めるという多彩ぶりです。ミュージカル好きの我が家では映画「エヴィータ」で彼の歌とダンスを見て以来大ファンだったのですが、ある日TIME誌で彼がNYでミュージカルに主演していることを知り、生でバンちゃん(我が家での愛称)の歌とダンスが見れるなんて!と今回の旅行となった訳です。
ミュージカルの話はここでは省くとして(「旅する2人の東西南北 NY旅行編」参照)、終了後楽屋出口から出てきたバンちゃんはファンにサインしながらも、「○×△※!」というヒスパニックの呼びかけに「%△×○#!!」と嬉しそうに返事をしていました。今は英語も堪能ですが、やっぱり母国語の呼びかけには嬉しそうでした。「握手して〜」の呼びかけには "Help yourself!"(どうぞ、ご自由に)という不思議な返事をしていたので、お言葉に甘えて(ま)もサイン中の手をなでなでしてきました。いやー、いい思い出です。
余談ですが、楽屋から出てきたバンちゃんは、テレビでよく見る変な帽子を被り、Tシャツの背中には大きく「NEW YORK」の文字。結構センス悪いのね。初めて見るハリウッド俳優の、イメージが少し変わりました。(ま)


ファースト・レディあれこれ 6.13.2003

言わずと知れた「大統領夫人」のことです。最近とみにメディアへの露出度が高いのが、前大統領夫人のヒラリー・クリントン氏。今週の「TIME」誌の表紙にも登場。自伝的本を出版して、そのPRも兼ねたインタビューに答えているのですが、「ご主人とモニカ・ルインスキーさんの不倫が暴露された時、どう思われましたか?」なーんて言う質問にも平気で答える度胸はさすが現ニューヨーク州議員。そのモニカちゃんは激太りも克服し、現在はテレビの司会などをやっています(でもやっぱり素人)。
現大統領のローラ・ブッシュ氏は存在が薄いと言われつづけていますが、そのとおりかもしれません。一方、メディア嫌いで有名から一転、最近見る機会が多いのがパウエル国務長官夫人アルマ・パウエル氏。(美人です。プライバシーが無くなるのが嫌だという理由でご主人の大統領選出馬を諦めさせたと言う噂を本人は否定。)こちらも子供向けの本を監修したのでPRを兼ねているようです。
今でもJ.F.ケネディー大統領夫人のジャクリーン・ケネディ・オナシス氏の記事はよく見るし、ワシントンDCに行くと、F.D.ルーズベルト夫人の銅像があって記念撮影スポットになっていたりします。アメリカ人にとってファースト・レディは、日本以上に注目度の高い、特別な存在なのです。
しかし、一番人気はやっぱり「あの人」のようです。同時テロから数日後、歴代大統領&ファースト・レディが集まる追悼式のテレビ中継を、働いていた小学校でランチタイムに見ていた時、そこにいた女性陣(全員おばさん)に「ほらほら、彼女あそこにいるわよぅ。」「あらぁ、元気そうじゃない。」「でも、歳とったわねぇ。」森繁久弥的話題の的になっていたのは、「アメリカの母」と呼ばれたバーバラ・ブッシュ氏でした。(現大統領のお母さんです。)(ま)


ニュー・エイジ 4.2003

最近、カリフォルニアから越してきたばかりの中国人のリンがお茶を飲みに来た。上海出身で、1年前にアメリカに来ている。話を聞くと、ショッピングは山ほどするし、旅行はするし、他のチャイニーズとはあまりつるまない。「チャ、チャイニーズっぽくないって、言われない?」と恐る恐る聞くと、「そうよ、私は他のチャイニーズみたいにお金を貯めるのが趣味ではないの!」と言い切った。(ひ)と(ま)はあまりのかっこよさに、唸ってしまった。
そうなのだ、我々の知りうるチャイニーズのほとんどは、とにかくお金を使わないことを善しとする。それも中国とアメリカとの通貨価値の差を考えれば納得できる話で、仮に10倍とするとアメリカで10万円貯めれば、中国では100万円の価値になるのだ。これが貯めずにおれようか。しかし、ニンジンばっかりかじっているとか、車がないので毎週2時間かけてスーパーまで歩いて買い物に行くとか、週末の楽しみは図書館で借りる無料のビデオだけだとか、そんな話ばかり聞くのはちょっと寂しい。そんなイメージをを吹き飛ばす彼女を、我が家では「ニュー・エイジ・チャイニーズ」と呼んでいる。(加えて驚くべきことに、我々より結構年上。)(ま)


不思議の国のベルジアン 4.22.2003

ベルギー人バートによると、年の頃は 40 歳半ばほどに見える彼が若かった頃には、ベルギーでは2年間兵役に就く義務があったそうです。通常は高校卒業後、大学に進学すると卒業まで待ってもらえたそうですが、大学院まで進んだ彼の場合、兵役に行ったのは 26 歳になった時。当然ながらダントツの最年長で「もう訓練はしなくていいから」と2年間ひたすら基地でバーテンダーをしていたそうです。どうりでくだらん笑い話からお堅い話まで話題豊富でおしゃべり好きだったわけだ。しかし博士号所持者にバーテンダーをさせるとはなんと贅沢な国ベルギー。
そんな彼が約1ヶ月滞在していた間に、彼の奥さんが妊娠したという朗報が届きました。そんな話をしているうちに、実は奥さんとは正式な結婚はしていないとのこと。聞くところによるとベルギーの場合、正式な結婚はせずいわゆる「事実婚」の状態で税金など別々に払っていた方が有利で、子供が産まれた場合には父親が「この子は自分の子だ」と宣誓すればそれでいいそうです。そういえばザビ・サンも夫婦別姓のままでやっぱり事実婚だそうです。どういう背景でそういうシステムが出来上がったのか分かりませんが、つくづく不思議な国です、ベルギー。チョコレートもビールも掛け値なしにベルギー産は美味しさ世界一だし、今や(ひ)(ま)家ではベルギーが行きたい国ナンバーワンとなっています。フランス語勉強しなくっちゃ。(ひ)


エンジェルの愉しみ 4.6.2003

ザビとサンのベルギー人夫妻が我が家にランチにやってきた。ふたりしてハンパではない大荷物。一人息子のジャスティン君(2才半)の、おむつやランチ、多数の人形やミニカー、ぬいぐるみはじめ昼寝用の折りたたみベッドまで。当の本人は昼寝どころかランチもそこそこに、我が家のいたるところに顔を突っ込んでは遊んでいる。
このジャスティン君、(ひ)(ま)が今まで出会った子供の中で最も「美形」なのだ。長いまつげ、大きな瞳は吸い込まれるよう。親が子供の顔を彫りこんだペンダントをするのも、祖父母が孫の顔見たさに年に3回ベルギーからやってきて、1ヶ月づつ滞在するのも分かる気がする。まさにエンジェルだ。おまけに英語とフランス語のバイリンガル。隣の部屋で(ま)と遊びつつ、カタコトで(ひ)(ま)の名前を呼んでいるのを、親は目を細めて聞いていたらしい。しかし、そのエンジェルが実は、我が家の洗濯物バケツに手を突っ込み、洗濯前の(ひ)のパンツに靴下、(ま)の下着等々つかみ出しては「これ(ひ)の?(ま)の?」と聞いていたことを、エンジェルの親は知らない。(ま)


ハイジの日 3.27.2003

今日は、ハンガリー出身のハイジ嬢の"Name Day"(名前の日?)だという。みんなでハンガリー語でお祝いを言ったものの、実は「ネーム・デー」が何たるかを知らなかった私は、おそるおそる意味を聞いてみた。聞かれたほうも随分驚いていたが、解説によると「365日全て、誰かしらキリスト教の「聖人」の日であり、自分の名前と同じ(もしくは関係の深い)聖人の日がその人の「ネーム・デー」となる」らしい。手帳のカレンダーを見せてもらうと、そこには毎日聖人の名前が書いてある。カトリックの慣わしだろうか、恥ずかしながら、そんな記念日があるとは今まで全く知らなかった。
しかし、疑問は続く。聖人の誰とも名前が似ていなかったらどうなるのだろう?私のネームデーはいつなのか?4年に一度の2月29日の聖人は誰だ?等々。ひとつだけ確かなことは、「アルプスの少女ハイジ」のネームデーも、3月27日ということだ。何はともあれ、Happy Nameday, Hajni! (ま)


軍人の家族 3.21.2003

沖縄の基地に弟がいるアメリカ人女性に会ったので「弟さん、忙しくなったんじゃない?」と聞くと、堰を切ったように話し始めた。イラク攻撃数日前、電話で「日本を離れることになる。どこに行くかは言えない。」と聞き非常に心配していたが、その後日本での任務を続けることになったそうで、とても安心したとのこと。そして「尋ねてくれてくれてありがとう。本当にありがとう。」と妙に感謝された。正直言って沖縄の基地と聞いていいイメージは持っていないし、話の流れで聞いただけだったのだが、心配する軍人の家族にとっては心に触れる温かい一言になったようだ。(特に今回のように世論が微妙な場合は。)何だか複雑な思いだった。(ま)


軍人の家族その2 3.21.2003

ちょっと前の話。一緒にバレーボールもしているアリソンおばちゃん(なぜかパンチパーマ)に、月曜日の朝駐車場で会った。歩いている間、何気なく「週末はどうだった?」と聞くと堰を切ったように話し始めた。「主人の甥がコーストガードでアフガニスタンに行っていたけど無事に帰ってきたの。彼は婚約していてフィアンセの彼女もとっても心配してたけど、私たちも安心したわ。無事を祝って家族で集まってパーティをしたのよ」。確かに戦地に赴くのは軍人さんの任務。しかし何故かテレビの中の出来事のような印象を持っていたが、ここアメリカでは身近にこのような状況が転がっているのだ。(ひ)


部屋を飾る人 3.2003

(ひ)も(ま)も一人暮らし歴が長く、かつ常に「いつかは引越す」ことを意識しているので、荷物は少ない。アメリカ人の家にいくといわゆるインテリアにお金をかけてゴージャスに過ごしている場合も多々あるが、所詮は我々は短期滞在の身である。ところが、短期滞在の日本人の中にも上手にインテリアを飾る人がいて、テーブルにロウソクひとつ、壁に小さな絵をひとつ、で随分と生活が心地よくなることを教えてもらった。散歩の途中に見つけた落ち葉数枚を額に飾って楽しむ、そんな見習いたいセンスのよさは我々の殺風景な部屋にも少なからず影響を与えてくれた。そのTさんもいよいよ帰国。最初に見て感激したテーブル用のローソクを記念にもらい、両手で抱えて帰る助手席で、不覚にも涙が出た。新しい部屋を、彼女はどんな風に飾るのだろう。(ま)


このお菓子、上手ですね 3.11.2003

「わたくし、にほんご、おいしくありませーん。あ、うまくありませーん」とはラジオ・パーソナリティ、ブッチ氏がFM福岡の番組中、天気予報でボズ・スギャッグスのマネをするときの定番ネタです。このあと「どうもギブミーごめん、アイディド失礼」(ごめんください、失礼しました)と続きます。
さてさて本日、どこから仕入れてきたのか中国人の X 氏が日本のお饅頭を食べながら歩いてきました。(ひ)の姿を見るや、満面の笑みをたたえ一言(日本語で)「このお菓子、上手ですね〜!」。聞けば20 年前に日本語を習ったことがあるという彼。ピンと来てしまいました、「こいつおいしいと言いたいに違いない」。そこで説明してあげました「上手とうまいは同じ意味、うまいとおいしいも同じ意味、だけど上手とおいしいは違う意味」。戸惑いの色を見せながらも「にほんご、むつかしですねー」と笑顔で去っていく X 氏。確かに、日本人が英語を学ぶより、外国人が日本語を習う方がずっと大変そうです。ダニエル・カールもジローラモさんもあんなに上手に日本語をしゃべっているではないか。(ひ)も英語くらいがんばろーっと。(ひ)


親日カップル 2.2003

(ひ)の友人カナダ人のヨアフ君がフィアンセを連れて我が家へ夕食を食べに来た。彼女は富山に1年半滞在した経験もある(日本語はほとんど話さない)。ふたりの出会いは、カナダの寿司バー。隣同志に座ったのが縁で、読書中の「ショーグン」について彼が語り、彼女はお手製の「モチ(アン入り)」をプレゼントして愛を深めていったそうな。どうぞお幸せに!(ま)


ブディスト 1.2003

お姉さんのお産を手伝いに来ているデニスを車に乗せて銀行に連れて行った。ロースクールを卒業し、今は歴史を勉強している知的な読書家の女性である。「日本に研修に行った友人は、人々が冷たいと言っていました。本当ですか?」など一般的回答が不可能な質問が続くので「よい経験も悪い経験も、人を成長させるものです。」などとと抽象的な答えをしていたら妙に感心され、私がブディスト(仏教徒)だと判明するや大喜びで仏教に関する質問を矢継ぎ早にしだした。
悲しいかな、私は平均的日本の仏教徒なので、運転しながらブッダの教えを英語で説明することは不可能に近い。幸いなことにデニスはお喋り好きだったので、自分で質問して自分で答えを探し、それに微笑をたたえながら深くうなずく東洋からやってきた神秘的なブディストを尊敬のまなざしで見つめていたのだった。(ま)


50'S の思ひ出 1.2003

ショッピングの途中にカフェで一休みしていたら、隣のおじさんが話し掛けてきた。「わしの若い頃には、ミルクシェーキをひとつ頼むとストローがふたつついてきて、ガールフレンドとふたりで飲んだものじゃ。」どうやらコーヒー(大)サイズを1つ買ってふたりで飲んでいた(ひ)と(ま)を見て昔を思い出したらしい。「映画で見たことある!それって1950年代でしょ。」と(ま)が無邪気に尋ねると(「そりゃ古すぎるよ!」と(ひ)は怯えたらしい。)、ズバリ1957年高校卒業でした。
バディ・ホリーやエルビス・プレスリーが生きていた頃の話をして去っていったおじさん、今春に予定している息子さんを訪ねてのベルギー旅行、気をつけて行ってらっしゃい!(ま)


上には上が 9.2002

グランドサークルめぐりではバシバシと写真を撮った。だって、写真に残したい風景ばっかりなんだもん。(詳しくは「旅するふたりの東西南北」参照)我々より2週間早く同じエリアを旅した、S藤家と話もはずむ。「いやぁ、すごかったですよね。(ひ)(ま)家はデジカメで1200枚、普通のカメラではフィルム4本分撮っちゃました。」と興奮気味に話す我々に対し、S藤家は「うちはデジカメ1100枚だったなぁ。」勝った、と思った。続いた言葉はこうだった。「使ったフィルムは40本ですね。」......上には上がいるものだ。(ま)


漢字の威力 8.2002

グランドキャニオンに程近いという街でマクドナルドに入った。と、列の前にアジアンの集団が。 観光ガイドらしきおじさんがみんなの注文をまとめて紙に書き、店員に差し出している。 覗き込んだ我々は驚いた。 何と紙には「牛・魚・鶏」という項目にそれぞれ「正」の字で数が書き込んであるではないか! 「これってもしかして、ビーフ・バーガー、フィオレ・フィッシュ、チキン・バーガーのこと?」 しかーし、ここはアメリカ。漢字が通じる訳はなく、レジのおねえちゃんもキョトンとしている。 通じないことに気づき、片言の英語で無事にオーダーを済ませたおじさんは、 あとで聞いたところによると香港からのガイドさんであった。真似したいほどの度胸である。天晴れ!(ま)


無国籍な顔 8.2002

(ま)はいろんな国の人に間違えられる。顔なじみの臨月のタイ人と話をしていたら、私に向かって「あなた、すごくタイ(タイ人のこと)に見えるわ。」と言う。 一応お礼のつもりで「あら嬉しいわ。でも私、日本人なの。」と答えると彼女は納得顔で「なるほどね。ハーフ・ジャパニーズなのね。」 この思い込みの激しさはどこからくるのかと思いつつも、父も母もそのまた両親も日本人なのよ、と誤解は解いておいた。
しかし、考えればアメリカ人は2代さかのぼればアメリカ人じゃないのが当たり前の国。友人には祖父はフランス人、祖母はスペイン人、母はペルー人、父はパラグアイ人のアメリカ人がいる。タイ人の子どもだってアメリカ人になるだろう。この国では私のような人間ほうがよっぽど特殊なのかもしれない。(ま)


言論の自由 7.2002

バーマ(ビルマ)出身のタミヤと一緒の英語クラスで、アウンサン・スーチー女史(ノーベル平和賞も受賞した、バーマの指導者)の話が出た。当然、みんなタミヤに話を聞きたがる。どんなにすごい人か、という話を期待していたのに、意外なことに彼女の口は重い。あとで聞くと「自分の国では人前で彼女の話なんて出来ないわよ。」と言う。
実は(ま)は日本と比較してアメリカが特に「言論の自由」度が高いと感じたことはない。逆に報道規制はアメリカの方が厳しいのではないかとニュースなどを見ても思うし、たまに読む日本のフツーの週刊誌の方が「ココまで書くか?」なんて政府批判記事も載っている。一般人だって、話したいことは普通に話せるしね。(これってすごいことなのかも!)でも、タミヤにとってはまさに「自由の国アメリカ」。どうぞ、この環境を十分に満喫してね。今度ゆっくり、あなたの国の話を聞かせてください。(ま)


ビートルズ 6.2002

ジェインは筑波にある日本企業に務め、会社から派遣され留学している中国人である。日本語も上手だし、今時の日本文化だって詳しい。ポール・マッカートニーの再婚が話題になったとき、彼女が私に小声で訪ねた。「ポール・マッカートニーってダレ?」「ビートルズのメンバーだよ。」と私。「ビートルズってナニ?」「え、イギリス出身の世界的に有名なバンドだよ。」ちょっと驚き説明を続ける私。「ほら、いちばん有名なメンバーはジョン・レノンでさ、、、」「ジョン・レノンってダレ?私知ラナイ。」そうだよね、中国本土で洋楽を聞くなんてありえないことだよね。育ってきた文化の違いは大きい。(ま)


あの頃 6.2002

英語クラスの先生ジェーンは、白髪交じりで化粧っ気もない地味な女性である。HAIKU(俳句)をたしなみ、自然志向で食べ物にも気を遣っている。実は見た目よりも若いらしい。
ある日、自分の結婚式のことを嬉しそうに話してくれた。「当時はヒッピー文化全盛期の頃で、私も超ミニのウエディングドレスを着たものよ。」そうか、ヒッピー世代だったのか!そして遠い目をしてこう言った。
"Only thing we want at that time, was LOVE and PEACE."(あの頃、私たちが欲しかったものは、愛と平和だけだった。)
カ、カッコよすぎる。。。と私は唸った。(ま)


アー・ユー・ジャパニーズ? 6.2002

アパートの前で出会った若い子から声をかけられた。"Are you Japanese?"(あなた日本人?) "Yes, I am."(そうよ。) そしてその子はこう言った。"Me, too!"(私もよ!)
私は一瞬絶句した。 出会うアジア人が多くの確率で日本人でないことには免疫が着いていたが、 黒人のおねえちゃんから自分は日本人だと言われてもギャグとしか思えない。 聞くところによると、彼女の名前はコービーちゃん。 お爺さんが日本人で名前がコウビー(外人は「神戸」をこう発音する。)だったそうだ。 友人に「ムスビ」(おむすびのこと?)を作るので日本食が買えるところを教えてくれと言われ、 日本・韓国・中国各オーナーのお店を教えた親切な私であった。ああ、驚いた。(ま)


イズラエルの兵士 5.2002

TVで自爆テロのニュースを見るたびに思い出す人がいる。 グラシエラは19歳のときにイズラエルに入植して2人の子どもを育て、 大学教授のご主人の仕事の都合で2年間だけアメリカに滞在した。 今度長男が高校を卒業し、イズラエルに戻って軍隊に入るという。 「徴兵制なの?それとも希望して?」と聞く私に、彼女はちょっと考えて 「彼はとても兵士になりたがっているのよ。」とだけ答えた。 あれから1年以上が経ち、彼は兵士になっただろうか。 私はグラシエラが泣いていないことを祈っている。(ま)


最高の誉め言葉 5.2002

アメリカ人家庭に住み込みで「乳母」をしているタイ人のフーン(26歳)とよく一緒に遊ぶ。彼女は片言の日本語を話し(「ワタシ、キレイ。」「ワタシノ、ナマエハ、フーンデス。ドウゾヨロシク。」)谷村新司の「昴」を部分的に歌ったりもする。タイで初の、全て英語で授業が行われる私立大卒業というのだから立派な家柄の出身なのだろう。そんな彼女が繰り返し嬉しそうに話すエピソードがある。地元民と観光客では入り口が異なるタイの寺院で、日本人に間違われて地元民用の入り口から入れてもらえなかった、というものだ。この話のポイントは「日本人に間違われた」というところ。ファッショナブルで小奇麗な日本人観光客に間違われるのは、最高の誉め言葉なのだ。そして、タイでは高嶺の花らしい現代日本のカルチャーに対しても憧れの眼差しを向ける。我が家にやってきていろんなもの( デジカメから文房具に至るまで)を見ては「これカワイイ!日本製?」「そうだよ。」「やっぱりね。ちっちゃくて可愛いもの。」を繰り返す。アメリカに来て知る、アジアにおける日本の影響力である。(ま)


1週間遅れの号外 4.2002

皇室の女児誕生はアメリカでもニュースになった。テレビや雑誌では「ハーバード大卒の才女が十二単を着て天皇家に嫁いだ。生まれたのは女の子。さあ、どうなる?」みたいな報道で、我々も日本では考えられない質問もたくさん受けた。(例:「あの子は試験管ベイビーなの?」)
1週間ほどたったある日、日本の友人から手紙が届く。「もしかしたら知っているかもしれませんが、日本でおめでたいことがありました。」との手紙付きで当日の西日本新聞を送ってきてくれたのは、(ま)の友人の中で唯一インターネットはおろかEメールもしたことがない、大学の同級生もりちゃんから。子育てで忙しい毎日だろうに…どうもありがとう。あなたのそのやさしい心遣いは、インターネットよりも偉大です。(ま)


エビータ 11.2001

英語学校でゲームをした。先生が生徒の背中に有名人の名前を貼り、 生徒同士質問をし合いながら自分が誰かを当ててゆくものだ。 アルゼンチーナのおばさんが自分の背中の人物が「エビータ」と分かったときの こぼれるような笑顔が忘れられない。本当に嬉しそうだった。
エビータは、マドンナ主演の映画でおなじみのアルゼンチンの伝説的女性リーダーである。 (ペロン大統領の妻。国民の精神的な支えとなった。)映画では独裁者の妻として 良くも悪くも描かれていたが、彼女の笑顔によって今でも国内でのその人気の高さを知った。
ちなみに(ま)は「スカーレット・オハラ」でした。選ばれた理由は不明。(ま)


なじみのある名前 10.2001

(ひ)のラボに新しくきたベルギー人の名前を、ボスはじめ皆が覚えきれずに困っているという。しかし(ひ)と(ま)は難なく覚えた。日本人だけに超有名な外国人の名前といえばザビエルだ。1549年種子島に上陸したフランシスコ・ザビエル。あのカッパみたな髪型と襟のフリルを思い出さない人はいないだろう。
そのザビエルが我が家に夕食にやってきた。7時きっかりにワインと花束を抱えてやってきたザビは(ま)の予想に反し、福山雅治がヨーロッパ人になったらこんな顔だろうな、というほどの美形であった。ザビ、ひどい想像してゴメンね。(ま)




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