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3行みかん町 2008年

やっぱり起こる、暮らしの中のハプニング!



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Guys, reckless riding on your own responsibility, please 12.18.2008

私(K)・3歳6か月・は、車に乗るのが大好きだ。我が家の愛車・赤いホンダ・には、私専用のスペシャルシートも完備されており、乗り心地も抜群だ。(T)ちゃん誕生後に、期間限定とはいえ保育所に預けられたのは本意ではなかったが、毎日朝と夕方に、父親と一緒に赤いホンダに乗って通園できたことは悪くなかった。
 さて、我が家が当地に移り住んで約1年半、坂道や独特の曲線や狭い駐車場など、当地ならではの道路事情には一通り慣れたと思っていた。しかし毎日通勤時間中に車に乗って観察してみると、もう一つ、特殊な事情があることに気が付いた。それは「原チャリ軍団」の存在だ。土地が狭く特に商業地での駐車場確保は難しいことから、通勤に2輪車を利用する人が多くなる理屈は理解できる。しかし、2輪車の乗り手、とりわけ「原チャリ軍団」の行動には理解できないことが多い。
 たとえば、信号待ちでは100%、「原チャリ軍団」は停止している4輪車の横や前をすり抜けて最前列までチョロチョロと進む。これは割り込みと同じでかなり姑息な行為だが、4輪車は停止しており危険度という意味では高値ではないため何とか許すことができる。ところが、恐るべきことに、「原チャリ軍団」は、4輪車が動いている状況でも、似たような行為を平然と繰り返すのだ。
 少しでも4輪車の流れが悪くなろうものなら、「原チャリ軍団」は右から左からヒュンヒュンと追い抜いていく。そして彼らは右へ左へと縦横無尽に進路を変えながら、巧みに4輪車をかわして縫うように走っていくのだ。まるで曲芸だが、驚くべきことに、この曲芸は片道1車線の道路であっても同様である。
 また4輪車は、迂闊に車線変更もできない。空いたスペースがあると見るや、瞬く間に「原チャリ軍団」がどわっと流れ込んで来るからだ。
 そして元来「原チャリ軍団」は、見るも冷えるほどの無防備な姿である。にもかかわらず、彼らはかなりのスピードを出している。繰り返すが、通勤時間帯で4輪車もかなりの数が走っている。少しでも接触しようものなら、転倒して一瞬のうちに後続の4輪車に次々と轢かれてしまうだろう。つまり上記のような運転は、「命懸け」にも思える、恐ろしいほど危険な行為だ。それを彼らは、毎日朝晩繰り返していることになる。彼らには、自らの生命を賭してまで先を急ぐ理由があるのだろうか。
 そんな「原チャリ軍団」の乗り手が、自らの危険運転によって負傷あるいは死亡するだけならば、それは「お気の毒」で済む。しかし、最も恐ろしいのは、その責任が4輪車の運転者側にも科せられる可能性が高いという点だ。無謀で命知らずな「原チャリ軍団」との接触を防ぐ、あるいは目の前で転倒した「原チャリ軍団」を轢かずにかわすような運転技術は、一般の運転者にはない。少なくとも父親と母親には不可能のように思える。ヒトの反射神経の度を越えている。いくら何でも無茶だ。したがって、普通に運転しているだけでも事故の加害者となってしまうような不測の事態の唯一無二の予防法は、通勤時間帯に車を運転しないこと、つまり車通勤をしないこと、となる。それとも、「バイクの諸君、危険運転行為は自己責任でお願いします」というメッセージを車の背面に掲げておけば、責任は逃れられるのだろうか? 逃れられるのであれば、今すぐ設置するように父親に勧めるのだが。
 さておき、父親は訳あって父親の父親(つまり祖父)から「バイクにだけは乗るな」という教育を受けて育ったそうである。同じように、父親も私や(T)ちゃんに「バイクにだけは乗るな」と言っている。このような親の教えというのは素直に守っていて損はない。私は2輪車には乗らないことにした。(K)


生きる力 11.28.2008

 今年の9月、私(K)・3歳5か月・の家に家族が増えた。元来、にぎやかな雰囲気を好む私としては大歓迎である。その新しい家族は私と違ってオチンチンがないので、生物学的には「女の子」というのだそうだ。父親と母親は、そんな「女の子」を「(T)」と名付けた。実は、事前に示された2つの候補のうち、私が選んだのとは違う方の名前だったので、「ならばはじめから私の意見など求めなければよいものを」と憤慨した。しかし、兎にも角にも私の大好きな両親が選んだ名であるので、百歩譲って受け入れることとした。このあたりの柔軟性が、私が最近つとに「大きくなった」と言われる所以であろう。
 さて、その(T)のことを、父親は「生きる力を持った子だ」と言う。何でも、よく寝るし、よくおっぱい飲むし、よくゲップするし、よく泣くし、よくうんちする というのがその理由だそうだ。特にうんちの勢いたるや凄まじく、父親はおむつ替えの最中に、何度か暴発した第2波の直撃を浴びていた。どうしてそんなことが「生きる力」なのか今一つ理解できないが、いつもおかしなことを言うのが大人たちの常である。
 さて、そんな(T)が、生まれて1か月あまりの間に2度も大学病院に入院した。もともと(T)ちゃん誕生にあたり、私は期間限定で大学キャンパス内の保育所に預けられるようになっていたのだが、加えて家でも父親と2人の生活となり、したがって私が世界で最も愛する母親と過ごす時間は非常に限られたものとなった。寂しくないわけがない。が、父親と2人での生活は(T)誕生の際にすでに経験済みであったし、それがさほど悪くないことも多少知っていた。少し前の私なら、「おかあさん、(T)なんかほっといて、(K)と一緒にお家に帰ろうよ」とゴネてやったのかもしれないが、その必要はなかった。そもそも(T)をほっとけるわけがない。母親に(T)のことを任せて、百歩譲って私は父親と一緒に家にいるのが最善の方策だ。周囲の大人が私のことをいくら子供扱いしようとも、それくらいのことは理解が可能だ。
 それから、これは余談なのだが、この間父親は、本人が「料理は全く苦手だ」と言っていたはずなのに、毎晩夕食を作って私に食べさせてくれた。「ヨシケイ」とかいう親切な会社が毎日食材を持って来てくれていたようだが。
なんだか私たちの方が(T)から「生きる力」をもらっているようだ。(K)


W is not my president 11.6.2008

vote

というバンパーステッカーを見たことがあるが、(ひ)も全く同感だ。どっちが勝ってもブッシュではないので楽観視していた今回の米大統領選だが、以前の記事 で(ま)が注目していた民主党のバラク・オバマ氏が見事当選した。ブッシュが始めたイラク戦争がこれで終焉に向かうだろう。それだけでも意義のあることだ。もちろん、ガソリンが安くなるのも歓迎だ。
 cnn.comで投票結果を見てみると、非常に面白い(右の図 11月6日現在)。まず、前回の大統領選と比較して、オハイオやフロリダが民主党勝利に転換している。これがすなわちオバマ氏の勝因、且つ両州が「激戦州」と言われる所以だろう。他の州の多くは、選挙人の数が少ないか、ガチガチの両党の基盤だったりするところだ。
 それから、オハイオ・フロリダ以外にも「battleground state」がいくつか設定されており、我が心の故郷ノースカロライナもその「激戦州」の中に含まれている。未だ投票結果が確定していないことからも激戦ぶりが伺えよう。投票日前の最後の遊説で、オバマ氏はフロリダからノースカロライナのラーレイを経由して、最後にワシントンDCに入ったという。最終日にラーレイに寄るとは意外だったのだが、そういうことなら納得である。そういえば、オバマ氏は選挙戦の最中に、我らがターヒールズとバスケットボールをプレーしていた が、それも激戦州へのアピールだったのかもしれない。
 余談だが、「もし今ノースカロライナに住んでいたら、多分この最終日のオバマ氏の演説を聴きに行ってたよね」とは、(ひ)(ま)の一致した意見だった。どんなに混んでいようとも、選挙権は無かろうとも、間違いなく行っていたと思う。
 それから、サウスカロライナからジョージア、アラバマ、ミシシッピといったいわゆる「Deep South」と言われる地域では、ズラリと共和党のマケイン氏が勝利している。ガチガチの共和党基盤なのである意味当然なのだが、その一方で、黒人比率が多い南部地域でありながら、オバマ氏ですら共和党の壁を崩せなかったというわけだ。実際、民主党予備選の時には、この南部で票を伸ばしたことでオバマ氏有利に展開してヒラリーを下した。実に面白い。ちなみに、クリントン氏の地元アーカンソーでも共和党が圧勝している。おそらく、ヒラリーでは民主党は勝てなかっただろう。
 兎にも角にも、ブッシュは終わりだ。イラク戦争も終わりだ。これ以上喜ばしいことはない。残りの任期の間に、ブッシュがとんでもない政策を強行しないか、それだけが目下の心配である。(ひ)
#ちなみに、「W」とはブッシュ息子のミドルネーム・イニシャルで、ブッシュ親父と区別するときなどに「W」と呼ばれます。


Live long and prosper 9.5.2008

star trek las vegas 「ラスベガスの「スタートレック」施設、10年で閉鎖へ」
実は「隠れスタートレックファン」の(ひ)でございます。(K)が産まれてからは時間がなくてとんと見ていませんが、7シーズン分の「Deep Space Nine」を、英語と日本語でじっくりと見るのが老後の楽しみだったりします(本気)(DVD買っとかなくちゃね)。そんな(ひ)のために、(ひ)(ま)家がラスベガスを訪れた際には、ヒルトン・ラスベガスの「Star Trek the Experience」へ立ち寄る計画を、(ま)が日程の中に組み入れてくれました。右の写真はその時の模様です。カプラ! (マウスを乗せると、本物だったらちょっと怖いボーグ)
さてさて、日本では「マニアックな人に好まれている」印象が強いスタートレックですが、実は日本のドラマは全く比較にならないほど非常によくできた質の高い作品です。したがって、本国アメリカでは広く一般に人気番組として受け入れられており、ラスベガスの巨大ホテルにアトラクションが作られ、それなりのお客が集まっていました。
と胸を張って言いたいところですが、CNN.co.jp に上のリンクのような記事が。(ひ)がアメリカに滞在していた頃に始まった新シリーズ「Enterprise」が見事にコケたのも影響しているのかもしれません。したがってアトラクションの内容が10年以上も前のものが中心となり、目新しさがなくなっていたのでしょう。
というわけで、老後の楽しみのためには「絶版にならないうちに早くDVDを買っとかなくては」と少々焦っている(ひ)でした(量が量なのでトータルするとかなり高額になってしまうのが欠点)。(ひ)


Wall Arch こわれる 8.12.2008

delicate arch 「アーチーズ国立公園の有名な砂岩アーチ崩れる 米ユタ州」
という CNN.co.jp の見出しに、「ついにデリケートアーチが壊れたか!?」と、北島康介選手の連続金メダルと同じくらい驚いてしまいましたが、崩れたのは Wall arch でした。 地図 で確認してみると、Devils Garden Trail の中程にあります。このトレイルは歩いたことがあるので(ひ)(ま)家所蔵のアルバムを探してみると、在りし日の? Wall arch の写真を見つけることができました。妙に迫力があったので、写真の向きは変えずにそのまま掲載しております。
ちなみに、右の写真にマウスのポインタを乗せると、(ひ)が壊れたかと勘違いしたデリケートアーチの写真です。「有名なアーチ」といえばコレですから。壊れる前に行っておくべし。(ひ)


3歳になりました! 6.6.2008

ついこないだ生まれたとばかり思っていた(K)くんが、なんと3歳になりました。言葉をしゃべるようになり、意志を示すようになり、活発に動くようになり、父親と2人でも日帰り旅行ができるようになり・・・成長を実感できた楽しい1年でした。絶好調親バカ特別企画「(K)くんの36か月」をどうぞお楽しみください。(ひ)(ま)


Say Good-bye to エヌ 4.9.2008

  さらば「鶴丸」5月で見納め、日航半世紀の象徴  (アサヒコムより)
私は飛行機が大好きだ。飛行機をたくさん見れる空港も好きだ。こんな私(K)2歳10か月 を、両親はよく空港に連れて行ってくれるし、飛行機にも何度か乗せてくれた。羽田空港のラウンジでは、驚くほど多くの航空機、および トーイングトラクター や ハイリフトブリッジ や にょろにょろ(注・コンテナ車のことです)を目の前で観察することができて、ひどく興奮したのを覚えている。祖父母が買い与えてくれた「飛行機と空港で働く車セット」は私のお気に入りのおもちゃで、父親が居間の床に白テープで作ってくれた滑走路で遊ぶのが大好きだ。皆におもちゃを選んでもらいながら配る「オペレーション・キャベツさん(注・CAのことです)」も、私のお気に入りの「シミュレーション遊び」の一つである。
ところで私は、「ジャル」「アナ」「アメリカンエアライン」「スターフライヤー」「キラキラ(注・スカイマークのことです)」「オリエンタルエアブリッジ」の機体を見分けることができる。それから、尾翼に円い鶴の絵が描かれている航空機のことを、私は「エヌ」と呼ぶ。両親は、なぜ「エヌ」なのか分からないと言うが、エヌはエヌである。父親が集めている ピンバッジ の中にも、エヌの機体と同じ字が書いてあるピンがあり、やはり私は「エヌ」と呼んでいる。「エヌ」と「ジャル」とは異なる機体である。エヌはエヌだ。
さて、報道によると、この「エヌ」が近々なくなるらしい。驚くことに、すでに残っているのは3機のみで、国内線で運用されているのは1機のみとのことである。エヌを羽田空港で見たのは貴重な経験だったのか。実機はなくなったとしても、父親のアッポー(注・Mac のことです)の中にはビデオが残っている。私はいつもの如く、「ちょっとエヌの飛行機みせてくれませんか」と父親に頼むだけである。(K)


RENT、クローズへ 1.25.2008

rentcountdown 来る2008年6月1日にて、ミュージカル「RENT」の公演が終了することになりました。ブロードウェイとはそういうところなので、今まで12年も続いたのが奇跡。そして(ひ)(ま)がこの「RENT」を見ることができた幸運に心から感謝します。
右のようにオフィシャルサイトのトップページはクローズまでのカウントダウンになっており、こういうのを見ると寂しさがこみ上げてきます。が、公演終了といってもそれはブロードウェイでの話しで、地方公演部隊は折に触れて組織されるだろうし、いつかはブロードウェイでもリバイバル公演があるでしょう。「RENT」を見る機会がなくなったわけではありません。いつかまた見れることを信じて、RENTファンを続けていきたいと思います。
意外にも、朝日新聞にも記事が出ていました。「公演終了」は報道されましたが、公演中に「RENT」の良さを伝える記事はありませんでした。フツーのメディアとは、そういう報道のしかたしかしないものなのだろう。(ひ)
後日談・とりあえず9月まで、クローズは延期されました。



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