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ファイル16 Atlanta, GA(5/24-27/2002)



この週末はメモリアルデイ・ウィークエンドの連休を利用して、南部一の大都市、「ビッグ A」ことジョージア州アトランタまでの旅に出かけました。出発前、(ま)の具合が今一つすぐれなかったのが心配でしたが(喉と、日焼け止めが合わないのかお肌の調子が悪かった)、喉の方はお薬が効いたのかほぼ快方したので、途中で具合が悪くなったらすぐに引き返す心づもりで、いつものように金曜日の午後から、(ひ)(ま)家の愛車ホンダCR-V に荷物を詰め込んで出発しました。(結局大丈夫でしたので本当に良かったです、後日談)

GA
ジョージア・オン・マイ・マインド

アトランタは、都市圏の人口300万人、アメリカ南部と言われる地域では随一の大都市で、1996年にはオリンピックが開催されたことは記憶に新しいと思います。(ひ)(ま)の住む Chapel Hill, NC からは、南西の方角に高速道路 I-85 一直線で約6時間の距離です。ドライブ初日はアトランタまで約1時間の高速道路沿いのモーテルに宿を取っていたので、まずはそこまで5時間かけて順調に到着しました。今回の旅行は、日程に余裕があるのと、(ま)の調子のことも考えて無理は避ける計画でしたので、金曜日はボスS氏がいなかったのをいいことに早く帰宅し、いつもより早く出発していました。そしてホテルに着いたのは午後8時半、ちょうどお腹が空いてきた時間でした。そこに、いつもだったらファーストフードで夕食を済ませるところなのですが、ホテルの前には地元住民たちの車が鈴なりに止まっているバーベキューレストランがあるではありませんか! いわゆる南部風のバーベキューは地域によって味や調理のスタイルが微妙に違うので、これはチャンスとばかりに、ジョージア風のバーベキューに迷わず突撃しました。酸っぱいソースが利いているカロライナ・バーベキューを食べ慣れてる我々にはちょっと物足りなさも感じてしまいましたが、檜のスモークで香りがしみこんだ味はなかなかでした。
ところでアメリカのレストランでは、出てくる料理の量が普通の日本人から見ると「えっ!?」と思わせるほどに大量なことがほとんど、このバーベキューレストランも例外ではなく思わず「おおおおっ!」とうなるほどに大量でした。私たちは渡米して約1年半、すっかりアメリカンな味に慣れてしまっていたのですが、期せずしてこのアメリカンな量にも慣れてしまって、こんな大量の肉の塊でもペロリとたいらげるようになってしまいました。写真に写る頬の大きさと、最近止めるのがきつくなってきたズボンのボタンのことを考えると、これはちょっと冗談抜きにどうにかしないといけないのは分かっているのですが、、アメリカの暮らしを経験する上で「食」は欠かせない文化ですからね・・・言い訳です。

さてさて、そんなこんなで翌土曜日にアトランタ入り。まずは大リーグ、アトランタ・フレーブズの本拠地、ターナー・フィールドへ向かいました。プレス・ルーム、ボックス・スイートやダグアウト(ベンチ)など、普段は入れないところにも入って解説してくれるスタジアム・ツアーにまず出発。実はこのターナー・フィールド、アトランタ・オリンピックの時にはメイン会場として造られた陸上競技場を、大会終了後に改装してできた(と言うより野球場にすることを前提に造られていた)球場なのです。アメリカらしい話ですね。それにしてもアメリカの球場はどこも天然芝がきれいです。野球をするのは「太陽の下・土の上」がいいに決まっていますが、日本のプロ野球でそれができる球場は甲子園球場くらいしかありません。アメリカでは素晴らしい芝のフィールド、安い入場料、そして何よりもボールパークの雰囲気、プレーする方も見る方も野球を楽しむための環境が比較にならないくらい素晴らしいです。余談ですが、残念ながら(ま)は元・野球部(ひ)がプレーしているところを見たことがないそうです。カッコいいところを見せてあげられてなくて残念!

そしてアトランタはコカ・コーラ発祥の地でもあります。途中オリンピックの聖火台などを見ながら「The World of Coca Cola」へ行きました。まずは動く彫刻 Bottling Fantagy が来訪者を驚かせます。往年のコーク・パブを再現したコーナーで、当時の店員に扮するおじさんに写真撮影を頼んだところ、カウンター下からすかさずボトルを出しナイスな表情でポーズを決めてくれました。そして目玉はコーラ飲み放題!世界中のコカ・コーラ製品が飲み放題です。我が日本代表は何故か「ベジータ・ベータ」。各国の製品をいろいろ試してみましたが、やっぱり「ベジータ・ベータ」が一番美味しかったです。涙が出るほどにと言ったら大袈裟ですが、たかだかこんなジュースに、なぜかこみ上げる懐かしさを感じてしまいました。日本にいた時には飲んだこともなかったようなジュースなのですが、変です。この時期はアメリカでの生活にもすっかり慣れて、一通りアメリカン気取りが済んでいたけど、何故か妙に日本が懐かしく思えていた時期でした。

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次に向かったのはいわゆる地下街、アンダーグラウンド。日本とは違って地下街は珍しく、規模は小さいですが個性あふれる露店が楽しかったです。Five Points 駅から地下鉄(MARTA)にも乗ってみましたが、やっぱり日本の地下鉄よりこじんまりしていました。そして地下鉄に乗って目指したのは「マーチン・ルーサー・キングJr. 国立歴史地区」。キング師の生家が保存されている地域が博物館のようになっています。当時の黒人としてはかなり裕福な家庭だったそうです。残念ながら家の中まで入るツアーのチケットは売り切れでしたが、メンフィスで暗殺されたモーテルと合わせて、これでキング師の人生の始まりと終わりのゆかりの地を見ることができました。(ひ)にもジョニーやラムジーなど本当に Lovely な黒人の友人がいますが、彼らが子供だった30年、40年前にはれっきとして差別があったことを思うと胸が詰まります。今でもアメリカ人の心の奥底に脈々と残っていて、そういう目で見ると実際に見えてしまう人種問題、キング師の存在無しでは語ることはできません。キング師がワシントンDCの Refrecting Pool で行った かの演説のように、夢は叶っているのでしょうか?。
そして夕方からは、バックヘッド地区にある巨大モールに出かけてショッピングを楽しみました。うーん、やっぱり都会っていいですね。そういえば忘れかけていたのですが(ひ)も(ま)も都会人なのでした。

明けて日曜日、今日はまず CNN センターに向かいました。アメリカでは、日曜日の午前中は教会に行く時間なのでお店などはほとんど閉まってしまいます。観光ポイントも例外ではないのですが、CNN だけは日曜日も朝から営業していたので、そこへ向かったわけです。早速、スタジオ見学などができるツアーに申し込もうとしたところ、「今日の分は売り切れです」とのお返事。さすが皆さん、考えることは同じで、チケットは昨日の時点で既に売り切れていたそうです。ちなみに電話でも予約できたので前日の土曜日にホテルから電話したところ、電話予約カウンターは月〜金の営業のみでテープが流れているだけでした。ここが開いていて、せめて売り切れていることくらい知らせてくれていたら、もっと時間が有効に使えていたのに、と少々腹が立ちましたが、気を取り直して、翌月曜日のツアーのチケットを買いました。そして少しCNN センター内を見学。次の日のツアーで知ったことですが、この建物はもともとインドア・アミューズメント・パークだったものを買い取って改装したそうで、一際目立つ大きなエレベーターはジェットコースター、下のフロアーはアイススケートのリンクだったそうです。ホールには毎日3時からの視聴者参加番組「トーク・バック・ショー」の公開スタジオもありました。

また、CNN センター近辺には、アトランタ・オリンピック時に整備されたいろいろな施設が集中しています。その目玉はジョージア・ドーム。オリンピックでは体操の会場などに使われましたが、現在は NFL アトランタ・ファルコンズの本拠地で、カレッジ・バスケットボールの大きな試合なども催されます(2001-2 年の ACC トーナメントなど)。事前に電話したところ、一般公開ツアーは現在クローズドということだったので、外から眺めるだけにしました。ところが大イベントの時には8万人以上が詰めかける巨大施設ですので、周囲の駐車場などがそれはそれは巨大かつ複雑に造られていて、近づこうにも近づけない状態でフラストレーションが溜まる一方。ちなみに(ひ)(ま)が歩いていた、普通の道路にしか思えない場所は8階建ての8階だったのです!エッシャーのだまし絵か?

朝から調子が今一つでしたが、気を取り直して次はセンテニアル・オリンピック・パークへ行きました。町中のちょっとした憩いの場になっています。名物は五輪の噴水。地面から五輪の形に水が吹き出す噴水の中に入って記念撮影。(ひ)は間抜けにも下から水の直撃を受けてしまい、見事に一本正中に沿って服が濡れてしまいました。

そんなこんなで(まだ午前中)、他にはどこも開いていないので一旦ホテルに戻って昼食。メニューは持参した炊飯器で炊いたご飯のおにぎり。そして開館の時間を見計らって車で15分ほどの距離にある「マーガレット・ミッチェル・ハウス」へと向かいました。マーガレット・ミッチェルは「風とともに去りぬ」を書いた作家です。実際はこの家全部ではなく、1階のほんの一部だけが彼女と旦那さんの居住区で、彼女はこの家を「ダンプ」と呼んでいました。(ひ)(ま)家のアパートの方がずっと広いです。ちなみに受付のおばちゃんが、頼みもしてないのに誇らしげに差し出した日本語の解説によると、この「ダンプ」を日本語風に訳すと「あたいのやさ」となるそうです。これは以後(ひ)(ま)家での流行語になりました。彼女は結婚後このダンプ<あたいのやさ>に20数年間住んでいたそうで、その間実に10年以上の年月をかけて主婦業の傍ら「風とともに去りぬ」を書き上げたそうです。この成功の後、彼女は他の作品を出版する間もなく、表に面した通り Peachtree Street を横切ろうとして交通事故に遭い、48歳の若さで亡くなってしまいました。隣接した博物館には、各国で上映された映画のポスターはもとより、ビビアン・リーがスカーレット役に決まったときにマーガレット・ミッチェルに送った電報や(あなたの素晴らしい原作に恥じないようがんばります、といった内容。実は当時、貫禄のクラーク・ゲーブルに対しクランクイン直前に驚きの抜擢をされた新人女優だったらしい)、実際に映画の中でスカーレット・オハラが怒って投げた花瓶のかけら、レット・バトラーの前で逆にかぶった帽子、バトラーに会いに行くのにカーテンで作ったドレスの生地などが展示してあって、とても興味深かったです。店員のおじさんは、胸に「クラーク・ゲーブル」と書いた名札を付けていました。また、この家のオーナーが整備にお金をかけずに、しかし壊すに壊せなくて荒れ果てていたところを、アトランタ・オリンピックを前にしてダイムラー・ベンツ社が資金を出して修復されたそうです。ちなみにこの小説・映画とその背景、現代における解釈などは、青木富貴子著「風とともに去りぬのアメリカ〜南部と人種問題」(岩波新書)に明るいので是非ご参照を。

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次に向かったのは「アトランタ歴史センター」。南北戦争の歴史やアトランタの発展が博物館に紹介されています。屋外の広い敷地は絶好のお散歩コースでもあります。敷地内にある、1900 年代初頭のお金持ちの豪邸「スワンハウス」、もともとはこの家のオーナーが所有していた敷地を市が買い取ってこの歴史センターに整備したそうです。建物はあまり古くないにもかかわらず傷みが激しくて、ツアーガイドの話によると元オーナーが売却した値段以上に毎年、修復・維持にお金がかかるのだそうです。せっかくの荘厳な南部式邸宅なのに、お金のために処分してしまったのでしょう、全く調度品の残っていない各部屋はもの寂しい雰囲気でした。アメリカでは歴史的な建物や公園がとてもきれいに整備されているところが多いのですが、そういうところは国立公園局に指定されて国から補助金が出ていたりして、とてもコストがかかっているようです。このスワンハウスやマーガレット・ミッチェル・ハウスのように、逆にそうではないところはオーナーの気分一つで荒れ果ててしまう、というのが今回感じた意外な印象でした。

こんな感じで観光名所を回っていると、そろそろいい時間になってきました。お腹が空いてきたのです! そして目指したのは、地元ドライブイン・ファーストフード店の「Versity」。特に特別ではないのですが、カウンターの幅は横50メートル、1日に売れるチリ・ドックは1万5千本(!)というから驚きの人気店です。(ひ)(ま)もチリ・ドックとハンバーガーをいただきました。お店は老若男女あらゆる層のお客さんで賑わっておりました。

さてアトランタ最終日、午前中はホテルでゆっくりして、午前11時頃にチェックアウトし、車を駐車場に置いた後は再度アンダーグラウンドを散策。そしてぼちぼちとCNNセンターへ向かいました。ツアー開始の時間までおみやげ店をぶらぶらとしていると、年間定期購読しているスポーツ雑誌 Sports Illustrated の表紙を飾れるコーナーを見つけて、ちゃっかり自分が写った表紙を作ってしまいました。さてさてお待ちかね CNN スタジオ・ツアー、やっぱり独特の緊張感がありました。テレビで見ている人がそこにいてニュースを読んでいるのを見ると、興奮してお上りさん気分です。

そしてアトランタを後にして、最後の目的地となる郊外の「ストーン・マウンテン・パーク」へ向かいました。花崗岩の一枚岩でできた山を取り囲む、とてもきれいな州立公園です。山を一周する鉄道や人工湖のクルーズなどもある広大な公園で、この日も多くの家族連れで賑わっていました。アトランタ・オリンピックでも多くの種目の会場になったそうです。遊ぼうと思ったら丸1日どころか何週間でも遊べてしまうほどの広さですが、(ひ)(ま)はとりあえずリフトで頂上まで行くことにしました。実は頂上とは言っても一枚岩の上ですからかなりの広さがあります。風がとても気持ちの良い日でした。この山を麓から登ってきている人達もたくさんいました。もし、もう一度来る機会があったら、(ひ)(ま)も登ってみたいところです。凧揚げをしている人も。風が本当に気持ちよく、頂上で凧揚げしたくなるその気分もよ〜く分かります。

そんなこんなでのんびりしていた(ひ)(ま)に、なんと予想もしないこの旅行中で最大の、いやアメリカに来てから最大と言ってもいいほどのハプニングが発生!!それは・・・

ちょっとした岩の段差を登って視界が開けたとたん、タキシードを着た男の子が女の子(普段着)の前に立っているのが見えました。こんな山の上でタキシードなんて変だな〜、と思ったその瞬間、何やらポケットからごそごそと取り出したかと思うとその箱をパカッと開けて彼女の前にひざまづいたではありませんか!そう、彼は彼女にプロポーズをしたのです。彼女はあまりにも突然の出来事にかなり驚いている様子でしたが、ほどなくイエスの返事をしたのでしょう、熱い熱い(暑い暑い?)抱擁となりました。まわりの人々からは拍手喝采の嵐、嵐。ガッツポーズを決めて応えるタキシード君。もちろん(ひ)(ま)も2人の将来に願いを込めて祝福しました。ちなみにどうも何人かの協力者の支援のもと、彼はこの日の一大イベントを会心の一撃で仕留めた模様。この騎士道精神は見習うところが大いにあります。とにかく嬉しいハプニングに気分も晴れ晴れの(ひ)(ま)でした。(写真右下)

そしてこのストーン・マウンテン・パーク一番の見所は、南北戦争での3人の英雄を、幾度かの中断も含めて実に50年にも及ぶ難工事の末に岩肌に彫り込んだという彫刻です。こんな彫刻いったいどうやって彫ったのでしょうか?

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以上のように、とても楽しいアトランタへの旅でした。また楽しい思い出ができました。やはり一度オリンピックを開催して世界中の人を受け入れた経験のあるアトランタは、旅行者を懐深く迎えてくれる印象を受けました。突然日本から行くと黒人の多さにビビリあがってしまうかもしれませんが、それもこの街の特徴ですからね。帰りの車の中で(ひ)と(ま)が何度も口にした言葉は「いいところだな〜、アトランタ」。アメリカは田舎暮らしも楽しいのですが、やっぱり都会もタマにはいいものです。(ひ)


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