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 3行アメリカ・2011年ふたたび・特別編

(ひ)(ま)家のドルが消えた! さて、どうする?



Got to Get the Money Back ! 6.28.2012

2011年6-7月のノースカロライナ滞在中に、銀行口座から州に召し上げられていたお金を取り戻した。名付けて「Get the Money Back Trail」のストーリーは これだけ にあらず。長くなるので記事にする余裕がなかったけど、ちょうど1年になるので、忘れてしまう前に書き残しておこうと思う。

*****

2004年5月 (ひ)(ま)家はノースカロライナから日本に帰国した。帰国準備というのはそれだけでかなり大変なことだったので、銀行口座については、レートのこととか考えながらお金を移すのは面倒だったこと、さしあたってそのお金がどうしても必要な状況ではなかったこと、という2つの理由から、とりあえず(ひ)の実家に住所変更の手続きだけして、中身のドルはそのまま口座に残してきた。
2005年6月頃 必要があって一度だけトランスファーしたが、それでもそれなりのドルが残っていた。当時は日本の銀行に比べると「ケタ違い」の利息がついており、その明細は毎月律儀に封書で送られてきていたので、数か月に一度実家に戻ったときなどにまとめて内容を確認するだけで、口座そのものはほったらかしにしていた。この状態が数年続く。
そして 2011年2月頃 再び2か月間のノースカロライナ行きが正式に決まって、口座に残していたドルを活用しようと思っていた矢先に事件は起きた。

例によって実家の母から受け取った郵便物の中に、いつもとは違う銀行からの封書が含まれていたのだ。開けてみて我が目を疑うと同時に背筋が凍りついた。その内容とはこうだ。
「あなたの口座は5年間 transaction がありません。このまま口座をキープしたければ、この用紙の下にサインをして 2010年10月某日までに送り返してください。そうでなければ、口座はクローズされて残高はノースカロライナ州に引き取られます」

ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと待った、もう締め切りはとっくに過ぎてるじゃないですか!
急いで銀行に連絡。こういう場合、自分の落ち度は絶対に認めないのがアメリカ流だ。
「どういうわけかこの手紙を受け取ったのは2日前です(理由を明らかにしたわけではないが事実)。5年間口座にアクセスしなかった理由の一つは、インターネットバンキングから締め出されていたからです(事実。相手の責任はしっかり指摘する)。もちろん口座はキープしてください。用紙にサインして送ります。」
意外と早く返事が来た。
「連絡が届くのが遅れてしまったようで残念です。しかし法律は遅れを許してくれません。すでに手続きは進んでおり、したがって口座はクローズされ残高は州に引き取られました。クレーム(申し立てのような意)は以下のウェブサイトで手続きしてください」
 しかたがないので言われた通りにウェブサイト(NC State Tresurer の Unclaimed property program)で手続きを行った。手続きとは言ってもフォームに fill in するだけの簡単なもので、該当の案件が見つかった場合にはおおむね1か月後に連絡が e-mail で来るという。こんな手続きで大丈夫なのか?と 大いに不安だったが、それ以上何もできることはなかったので、待つしかない。…(1)

2011年4月 1か月が経った。何も連絡はない。
2011年5月 2か月が経った。やっぱり何も連絡はない。そうこうしているうちに出発となり、以後は到着後に現地で何とかするしかない状況になってしまった。円高なので円に換えるよりもドルのまま使いたかったのだが、残念ながら不可な状況だ。まさか州からお金が戻ってこないわけはないと信じていたが、やはり不安でいっぱいだった。
2011年6月 ノースカロライナに到着後は、子どもたちも含めて慣れるまでしばらく時間がかかったので、何となく銀行へは行かずにしばらく過ごしてしまった。気が重たかったというのもある。大変そうなことよりも、楽しそうなことを先にしたいというのが人間の常だ。

6月28日、思い切って銀行に行くことにした。まず記憶にある場所に行ってみると、もうそこに銀行はなかった。実はウェブサイトで少し予習していたのだが、中にはその位置にまだ銀行があるような情報もあったのだ。おそらく古い情報がそのまま残っていたのだろう。アメリカでもウェブサイトの情報は鵜呑みにできないことを学んだ。
で、そんな場合に備えて用意していた別の場所へ行ってみた。
 行くべき場所としては正解だったようだ。用件を伝えると、トリ という女性が対応してくれた。上記の状況をもう一度説明すると、金額も金額なのでと思ったより親身に対応してくれた。
トリ によると、「3か月も連絡がないのはおかしい」「口座がクローズされているので、銀行としては、もはやできることはない」「State Treasure に直接電話して、しかるべきコンタクトパーソンを見つけて対応してもらうべし」とのことだった。この「直接電話」というのが結構クセモノなので、できれば避けたい選択肢だったが、やっぱり腹をくくるしかなさそうだ。ただ「ペーパーワークは全て揃っているし、ちゃんとお金は戻ってくる」という トリの言葉は、「州から返還を拒否されて、弁護士を雇って手続きを…」という最悪のシナリオも考えていただけに、たいへん心強いものだった。

で、電話なのだが、非ネイティブの外国人にとっては、これが本当にクセモノなのだ。
まず、電話しても人が出ない。早口の自動応答アナウンスを聞きながら、番号をいくつも押して、電話がつながったまま何分も待たされたりして、やっと人と話ができる。やっとの思いで人にたどり着いたと思っても、担当が違うと別の部署にたらい回しにされたり、顔を見なくても黒人と分かるのに 話している英語が分からなかったり、反対に こちらの英語を理解してもらえなかったり…。面と向かって話すよりも、電話というのはずっと難しいのだ。しかも今回は、電話でお金のことを話さなければならない。英語は苦手ではないが、本当に自分一人でできるのか、不安いっぱいでチビリそうになった。

しかし、救いの神というのはいるものです。銀行に行ったその日の午後、(ま)は旧来の友人 クリスティンに会う予定だという。クリスティンと言えば、(ま)が 皮膚の問題 で困った時にも一緒に病院に行ってくれた恩人だ。これ以上ないパーフェクト・タイミングで登場した「白馬の騎士」ならぬ「白髪のエンジェル」に、銀行口座のことで困っていると事情を話すと、水を得た魚の如く「私に任せなさい!」とばかりに張り切って手伝ってくれた。

まず、クリスティンの家へ行き、State Tresurer に電話をかけ(予想通り何か所もたらい回しにされた)、適切なコンタクトパーソン(Donya)にたどり着いて、(ひ)(ま)の口座から州に引き取られた Unclaimed property があることを無事に確認した。つまり、これでお金が戻ってくることが、とりあえず確定である …(2)。
 さらに、今度は返還に必要な手続きだ。クリスティン家の Fax で必要な書類を受け取り、再び銀行へ行って受け取りのための新しい口座を開設し、トリ に口座番号と担当者名を書類に記入してもらって、クリスティンと一緒に何度も書類を確認して封筒に入れ、最後はクリスティンが切手まで用意してくれてポストに投函した。Donya が言うには、おおむね一週間ほどで新しい口座にお金が振り込まれるそうだ。…(3)

さすがネイティブ(当たり前か)、クリスティン様々である。この手続きは絶対に一人ではできなかったと思う。ネイティブ云々言う前に、クリスティンの親切には感謝してもしきれない。「今日のあなたのご親切は、私の残りの人生の間、ずっと忘れずに ずっと感謝し続けます。それが我々日本人の文化です。」と、精一杯の感謝の意を伝えたが、それでも足りないくらいだ。

聞けば、クリスティンとご主人は、敬虔なクリスチャンだという。子どものいないクリスティン夫妻は、教会活動の一環として、外国人に対し生活をサポートするボランティアを続けているそうだ。だからこそ英語クラスを受講していた(ま)とも知り合ったわけだが、かつて9か月間日本人が彼らの家に住んでいたこともあるらしい。そして現在は、主にベトナム山岳民族の難民の手助けをしているそうだ。その背景が、彼らの民族がベトナム戦争で米軍に情報提供をした見返りに アメリカ合衆国の居住権を与えるという、数年前にブッシュ(W)が導入した政策によって移民してきたというから驚いた。ベトナム戦争から何年経っているのか本気で計算してしまった。彼らの収容施設まで、週に3回 片道45分ドライブして通い(ガソリンがずいぶん値上がっていたが もちろんコストは自腹)、英語が全くしゃべれない相手にどうやって意思疎通しているのか聞くと、「 Minimum. It's very minimum. 」だと言う。変な話、騙そうと思えば騙して国から支給される補助金をピンハネするくらい簡単にできてしまいそうだが、そんな邪なことは一切抜きにして、身の回りのお世話をしたり、子どもにはお古の洋服や玩具を集めて与えたりして、ベトナム人家族が アメリカ社会に巣立ちできるよう地道に支援しているのだ。
クリスティン夫妻がそんな100%純粋に親切な人だったからこそ、困っていた外国人(ひ)にも、こんなに親身になって手助けしてくれたのだと思う。神様、感謝いたします。

さてその後、インターネットで残高をチェックしていたが、1週間が経ち、10日経っても一向に振り込まれない。どういうことだ? Donya に電話するしかない。Donyaの直通番号を聞き出しておいてよかった。Claim# もある。もう怖じ気づいている場合ではない。Donya に電話するしかない。

朝9:00 に電話してみると「あら、ハ〜イ!」と明るい Donya。事情を説明すると「オーケー、分かったわ。銀行に確認してみるから、そうねえ、今日の午後2:00ごろにもう一度電話してみて!」と、こちらの心配もよそにとても明るい口ぶりの Donya。 2:00 はもちろん仕事中だけど、昔から研究所の電話機は声が小さくてものすごく分かりにくいので、仕方なく早退してホテルの部屋から電話した。すると、Donya はすでに帰宅しており、そしてなんと休暇に出かけて戻ってくるのは5日後だという。
●※△×$○#▲∫□∂■∆! お前2時に電話しろって言うたやんか! お前あんな明るい声やったんは午後から休暇やったけんかい? お前仮にも公務員やろうがドアホウ!!

しかし、いくら腹を立ててみても暖簾に腕押し。こういういい加減なことが珍しくなく、代理の人間が担当してくれる訳でもないので、つまり腹を立てる方が損なのが「アメリカ合衆国」だったということを そういえば思い出した。せっかくの家族全員での楽しいノースカロライナ滞在、腹を立てたままで限られた時間を浪費するのは実にもったいない。英語にアクセントはなかったけど、留守番電話は英語の後にスペイン語のメッセージがあり、名前からしてもおそらくヒスパニック系で間違いない Donya。そんな Donya が休暇で里帰りしたら平気で3週間くらい戻ってこないなんてことも全然アリなので、戻ってくるのが5日後だというのは むしろラッキーなくらいだ。いや、ラッキーに違いない。そう、ラッキーなのだ。はあ、オレっていつからこんなにポジティブで寛容になったのだろう。

で、残高を毎日チェックするが、当たり前のように振り込まれる様子はない。5日間じっと待って、Donya が出勤してくるはずの日の朝9:00に電話してみた。まだいない。その日の夕方に電話してみた。まだいない。次の日の朝に電話してみた。まだいない。もう声が小さくて分かりにくいなんて言っている場合ではないので、お昼に研究所から電話してみた。まだいない。電話したときには毎回留守番電話に「…の番号に電話してください」というメッセージを残していたが、当然のように Donya の方から電話がかかってくることはない。暖簾に腕押しも ここまで空振りが続くと、さすがに気持ちが折れそうになる。まさか Donya が持ち逃げしたか?と、本気で疑ってしまった。

そんなこんなで、もう7月も半ばを過ぎてしまった。やっとつかまった Donya に、日本に戻る予定は7月末だということを強調して、確実な対応を促した。そして、「振り込み元からの送金を確認したので、明日には振り込まれるはず」というまともな返事を初めて Donya からもらったのは 7月21日だった。翌22日、ついに振り込まれていることを確認して、ようやく州に召し上げられていた全額を取り戻すことができた。…(4)
 早速 トリのところへ行って、日本の銀行口座へ送金(Wire Transfer)する手続きをお願いし、土日をはさんで 25日の月曜日には無事トランスファーが完了したことをこの目で確認した。したがって口座の残高はデポジットの25ドルのみとなり、もはや存在意義はないので、トリに頼んで口座を閉めてもらった。通常、開設から90日以内に口座を閉めると15ドルの手数料が取られるのだが、トリの一存でこの手数料は免除。トリから25ドルを現金でもらって、思い返せば2月からの、長かった「Get the Money Back Trail」が全て終了した。

*****

事の成り行きをあらためて思い返してみると、NC State Treasurer という組織が如何にいい加減な組織かということがよく分かる。ウェブサイト には「没収された財産を責任持って正しいオーナーに返します」などとそれらしいことが書いてあるが、全く信用できない。
 まず、(1) のウェブサイトでの手続きは、電話して Donya が (2) で確認するまで全く無視されていたと思って間違いない。つまり全く無意味だったということだ。これが仮にも行政機関のすることかと思えば信じられないが、それがアメリカ合衆国だ。それから、(3) の Donya の言葉も全くのいい加減だった。これは Donya の個人的な怠慢と思われる。何度も何度も電話してしつこいくらいに留守番電話にメッセージを残して、やっと机の隅に放り投げた書類の処理を進めさせて (4) というゴールにたどり着くことができたのだろう。これが仮にも公務員のすることかと思えば信じられないが、それがアメリカ合衆国だ。

それにしても、この返金手続きは日本にいるだけでは到底不可能だったと思う。たまたま2か月間ノースカロライナに行く機会に恵まれて、クリスティンというパワフルな味方が協力してくれたので、なんとか無事にドルを取り戻すことができた訳だが、そうでなかったら絶対に無理だ。「州は今 財政難なのに、戻ってきてラッキーだったな」というボスS氏の言葉からも分かるように、有効なペーパーワークを全て揃えて強くリクエストしなければ、州は返金に応じないだろう。ボンクラ公務員が 日本人のためにわざわざ面倒な手続きをして、日本の銀行口座に送金などしてくれるわけがない。たまたまノースカロライナに2か月間滞在する機会があったから良かったものの、そうでなかったら、泣き寝入りするしかなかったのだろうか? 考えただけでも恐ろしい。

というわけで、最後はやっぱりもう一度クリスティンに感謝したい。
帰国する前日には、御礼の品を持ってもう一度クリスティン夫妻を訪ね、すったもんだの末にほんの数日前に無事に返金されたことを話し、再び感謝の意を伝えた。クリスティン夫妻も喜んでくれて、ガレージで 1975年式の Chevy(クリスティンのご主人が最初に買った車。中古を大切に手入れして、今でもピカピカで現役)に乗せてくれたり、(K)と(T)の身長を柱に書き込んでくれたりして、別れを惜しんでくれた。帰国の時に捨てるつもりだった(K)と(T)の古着や玩具は、かのベトナム人家族に渡してもらうようお願いして置いてきた。

今もどこかでベトナム人の子どもが(K)(T)のお下がりの服を着て、お下がりのオモチャで遊んでいるかもしれない。どんな経緯でその服や玩具が彼らの手に渡ったのか、彼らには知る由もないかもしれないが、ベトナム戦争のみならず 実はこんな長いストーリーがあったという思い出を、(ひ)(ま)はブレインの片隅の引き出しに、そっと大切にしまったのであった。(ひ)



(K)(T)と 救いの神、クリスティン


これが 1975年式シェビーだ!カッコイー!!




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