
PowerMacG4
667MHz/256MB(512MBに増設)/60GB
4台目マック アメリカの研究所にて 2001年2月頃支給
嬉しいことに、(ひ)が赴任したアメリカ国立の研究所では、着任と同時に新パソを1人1台自動的に支給してくれるルールになっていました。ウインドウズPCとマックは個人の好みにより選択可能だったので、今は亡き秘書のバーバラおばさんに告げた言葉は「I like Mac, please」という一言のみ。そして数日後、17インチのアップル純正 Studio Display とともに、当時ほぼ最速スペックのパワフルな PowerMac G4 が大きな段ボール箱に入って届けられました。その時は、興奮と感動で鳥肌を立てながら Packing slip にサインしたことを鮮明に覚えています。セット価格は約4500ドル、自腹じゃとても買えない高級機を愛用させてもらった3年半はとても良い思い出です。アメリカ合衆国の Tax payer の皆様、どうもありがとうございました。
逆に、使用者が研究所を離れる場合、つまり(ひ)が帰国した後は、これまたルールとして自動的に廃棄処分となることも予め決まっていました。「もったいないので日本に持って帰りたい」と研究所に問い合わせてみたものの、「Government property なので不可」という予想通りのお返事。泣く泣くのお別れでした。
パソ本体もさることながら、球形の専用アップル純正スピーカーが素晴らしく音質が良かったことを記憶しています。Apple Pro Speaker だったかな、ぜひ復活してほしいアイテムです。
それから 17インチの 純正 Studio Display は、電源供給もUSBハブ機能も全て含んだケーブル一本のみでの接続という、これぞ「アップル社の神髄」とも言うべき超シンプルな設計でした。現行の薄型ディスプレイでは電源部のビルドインが物理的に困難なのは分かりますが、ぜひ復活してほしいシステムです。(注・現行モデルでは、逆にディスプレイの方からMacBookに電源を供給するようなシステムであれば復活しています)
加えて、自宅で使用していた iBook SE とのデータ移動に、当初は Zip をドライブごと持ち運んでいましたが、後に150ドル(これも合衆国の税金)ほどで入手した「USBフラッシュメモリ」が、素晴らしく便利で激しく感動したことをこれまた鮮明に覚えています。今となっては全く当たり前のデバイスだけれども、「こんなに小さいのに、こんなに便利で、こんなに簡単にデータを移せるなんて」と、心から感激したものです。これは(ひ)のパソ人生の中でも特筆に値する事件だったと思います。
ソフト的には、ギリギリ Mac OS X 発売前の OS 9 ネイティブ起動モデルでした。実は研究所では「ネットワークに対するセキュリティが100%保証できない」という理由で、しばらく Mac OS X へのアップグレードを固く禁止されていました。もう少し後の OS X プリインストールモデルになっても、わざわざ削られて OS 9 のみでの起動に制限されて供給されていたほどです。なんだか某 Vista のような扱いですね。使い手の(ひ)の方も、研究所でアップルの出張 OS X レッスンを受けたりもしてみましたが、使い勝手が根本的に異なる OS X は なかなか受け入れられませんでした。果たして Mac OS X を 10.0 から 10.3 までを丸々スキップしたこととなり、結果的に幸か不幸か Mac OS X 初期の不安定だった時代を知らずに済みました。

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