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![]() ファイル00 Chapel Hill / Durham, North Carolina(4/10/2001〜4/27/2004) ![]() |
約3ヶ月遅れで(ま)がノースカロライナにやって来たその日から、(ひ)と(ま)のハネムーンが始まりました。 ------<序章>------ さかのぼること2000年12月16日、(ひ)と(ま)は家族と友人に囲まれて、ささやかながら幸せな結婚式を挙げました。 そして21世紀を迎えた2001年1月22日、(ひ)はスーツケース一つでノースカロライナの地へと降り立ちました。ところがどっこい、時は折しもクリスマスが終わって一年で最も寂しいシーズンの1月。ボスが予約してくれていた研究所近くのウイークリーホテルは労働者階級の方々がいっぱいで雰囲気が悪く、(ひ)は不安いっぱいでチビリそうな毎日 <この体験から、安くても怪しそうな宿には泊まらない習慣が身に付く>。しばらくボスの送迎でこのホテルからラボまで通っていましたが、慣れない仕事や手続きで部屋に帰るとバタンキュー。何とか起き出して家族へのメールを書いて翌朝ラボから送り、その返事を読むのだけが心の支えだった一週間。「こんなところに来るために俺はあんなに苦労したのか?」と毎晩落ち込みながらベッドに入り、微笑む(ま)の写真を見ては、いい年こいた男が不覚にも涙を流す、そんな情けない日々が続きました。 「そうだ、(ま)が来るのは4月だけど、その前にもうこんな所から逃げ出して日本へ帰ってやろう」 ちなみに、ちょうど同じ時期にメジャー挑戦で渡米したイチロー選手に、「いいな〜、通訳とかついていて周りの人が何でも面倒見てくれるんだろうな〜。僕はぜ〜んぶ1人でせないかん。えらい差やな〜」と妙な嫉妬感を覚えていたのもこの頃でした。 さてさて、しかし救いの神というのはいるものです。こんなに落ち込んでいた(ひ)を元気づけてくださったのは、忘れもしません、ラボの同僚がひょっこりと連れてきたS田先生でした。その日、S田先生は(ひ)を夕食に招待してくださいました。3人の娘さんの笑い声が絶えない明るい家庭の中で、落ち込んでいた(ひ)の心はどれだけ癒されたことか。S田先生には何度もご馳走になったばかりでなく、アパート巡りや引越の手伝いなど、これ以上ないほどにお世話になってしまいました。一点の疑いもなく、渡米直後のこのつらかった時期を乗り越えることができたのは、S田先生のおかげでした。他にも車を買いに連れて行ってくれたMリッサや、買物に連れ出してくれたJームスなど、この時期に助けてもらった方々への感謝の気持ちは一生忘れることはありません。本当に、今思い出しても涙がこみ上げてくるほどに、心から感謝しています。(ひ)の真からの心の声で、ありがとうございました。 そんな親切な方々の助けもあり、ホテルから無事アパートに引越して(入居初日に飲んだビールは最高に美味かった!)、ムービングセールなどで家具などを揃えていき、心も環境も次第に落ち着いてきました。アパートは住所はチャペルヒルながらダーラムエリアへも近く、環境もこの上なく素晴らしくて我ながらグッドチョイス! あの安ホテルで部屋に引きこもって落ち込んでいたのが嘘のよう。。 こうなると待ち遠しいのは(ま)の到着です。 ------<そしてハネムーンがスタート>------ 2001年4月10日。それは待ちに待った(ま)の到着の日でした。今では信じられませんが 9/11 のテロ事件が起きる以前の当時は、搭乗ゲート前まで送迎客も入ることができたのです。ゲートから出てきた(ま)の姿を見た瞬間の喜びは、これまた一生忘れられません。精一杯の歓迎をしようと、長旅と時差ボケで疲れ切っている(ま)を、休む間もなくフランクリンのレストランへと連れ出し、いきなり座布団ステーキを食べさせてしまったのは勇み足とご勘弁ください。季節も <前日に降った大量の花粉におったまびっくりしましたが> 初夏の良い気候になって、この頃にはすでに「なーんてノースカロライナはいいところなんだろう」と暢気にもすっかりと180度心変わりしておりました。 幸いなことに再び心変わりすることはなく、このHPでもお伝えしている通り、以来3年間にもわたったノースカロライナ・チャペルヒル/ダーラムでのハネムーンは、数多くの思い出を(ひ)(ま)の心に残してくれました。 ふたりで過ごした時間はもちろんのこと、国籍を問わず本当に多くの友人に恵まれたことが何より大きな思い出です。サンクスギビングには毎年ディナーに誘ってくれたラリーとサム。ボスS氏にラボの同僚のレン君やザビ・サン夫妻、エラヘやコリアンのクイチョン。ランチ仲間のパティおばさま。(ま)の英語の先生ヘレインやおしゃれなアーティスト・ミスターH。仲良くしてくださったK谷先生ご夫妻やY成先生ご一家。キリがないので全員を挙げることはできないけれど、この友たちの存在抜きでは何も語ることはできません。本当に、心の底から思いを込めて、ありがとう。 とりあえず言葉で大きく困らなかったということが、アメリカ生活を楽しめた大きな一因であるのは疑いありません。英語に関しては「3行アメリカ English」にもある通り、渡米直後の(ま)の英語は目を覆いたくなるほどにひどいものでした。しかし持ち前のハートでメキメキと上達し、半年も経たないうちにほぼ困ることは無くなりました。我が妻ながらあっぱれです。(ひ)はかなり執拗に(ま)から英語クラスに誘われましたが、固辞し続けて結局逃げおおせました。しかし振り返ってみると、結局帰国直前の頃がやはり一番上手く英語を喋れていたと思うので、日々の生活の中でもそれなりに上達していたのですね。最後に車の売却の交渉でアメリカ人をねじ伏せたことは、ささやかながら(ひ)の勲章として心に残っています。 そしてこの「旅するふたりの東西南北」のコーナーで紹介している、ふたりで訪れた各地での思い出も、何事にも代え難く大切な財産となりました。不思議といい記憶しか残っていません。この先何年何十年経っても、アルバムや(ひ)が魂を込めて集めたピンバッジを眺めながら、楽しい思い出が止めどなく溢れるように出てくるでしょう。「旅するふたりの東西南北」に必ずしも全ての思い出を詰めることはできていませんが、このような形に残る足跡を書き記したことは、(ひ)(ま)家の貴重な記録となりました。 しかしやっぱり、最も大きく心に残るのはノースカロライナのチャペルヒル/ダーラムで過ごした日々です。豊かな自然の中で季節を感じ、友とふれあい、ふたりで協力しながら異国での生活を乗り越えた、(ひ)(ま)家の原点と言っても過言ではないでしょう。まる3年間にも及んだハネムーンは、2004年4月27日、帰国の日を迎えてついに終わってしまいましたが、このカロライナで過ごした日々のことを思い出すとどんな困難でも乗り越えられるような気がします。こういう気持ちになれただけでも、苦労は多かったけれど(ひ)(ま)家のアメリカ生活は大成功だったと言えそうです。 ------<おわりに>------ このHP「NC27517」は、ノースカロライナに来てから2年以上もの時間が経ってから始めました。したがってアメリカでの生活の何もかもにほとんど慣れていたため、少々いいことばかりを書き過ぎたかな、とも気になっておりました。だけど、ふたりのいい思い出の宝箱だと開き直ってしまうのも悪くないですよね! (ひ)の恩師で(ひ)(ま)家のご媒酌人・H田先生をはじめとする、読者の皆様から届く声には本当に励まされました。また、このページでご紹介できていなくても、お世話になった方々はたくさんおられます。本当にありがとうございました。この場を借りて皆様に、心から感謝申し上げます。 ハネムーンは終了しましたが、「NC27517」はこの先も続いていきますので、どうぞよろしく(ひ)(ま)家のことを見守ってください。 2004年 夏 (ひ)(ま)より感謝を込めて。 |